記憶 // 社会の窓

「っていうか、わりと最近、似たような話をしたよね。」と言われることが最近、多い。

口頭の場合は確認のしようもないのだが、メール等の場合は確認してみると、確かにそうだ。
すっかり忘れている。
この人とこの話をしたい、と思っているので、対象者とトピック自体は忘れることはないのだが、実際にそれをしたのか、その結果どうなったのか、という記憶が抜け落ちている。
印象が薄かったというわけではなく、自分でも心配になるくらい記憶がもたない。

忘れっぽい、とも違う。そもそも自分がそこにいない、経験自体していないような感じだ。

ポーランドに移住してから、この症状が始まったのは確かだ。
ただそれが、「老い」によるものというのも否定できない年齢であるため、深く考えずにいた。

しかし、同じことがこちらに移住してきた他の日本人仲間にも起きている。少なくとも僕の他に2人、いる。

最初は、僕よりも2年先にこちらに来ている先輩にそれが起きた。
出会った頃は聡明な人、という印象だったのが、だんだんと「いやだなぁ、この話、前にもしたじゃないですか。」なんていう会話が増え、付き合って数年経つ頃には、本人のお人柄もあって「前に会った時に話したことを全く覚えていない人」という、半ばイジられキャラのポジションが確立されてしまった。

同じ年で、本人談で「忘れっぽく」なった友人もいるのだが、そんなに頻繁に会うわけではないので判断が難しい。そして同い年というのがまた厄介で、君もそうなら、俺も年齢のせいだろう。そういえば先輩もこのくらいの年齢から忘れっぽくなったし、となってしまう。

僕よりも後に来て、同じように忘れっぽくなった人もいる。年は僕よりも下だが、近い年齢だ。その頃はすでに僕が先に「忘れっぽく」なっていたので、これもなかなか判断が難しい。
会うたびに、以前もしたことをお互いに忘れて同じ話を繰り返す、というSF小説のようなことが2人の間に起きているかもしれない。

それ以外にも気になることがいくつかあって、僕は少し前から、周囲の人間に「バカになった気がする」と漏らすようになった。
もともとそんなにデキのいい頭でもないが、それにしても、だ。

昨日、か一昨日?
XだったかThreadsだったか(ほら、もう忘れた)で、気になる投稿を見つけた。
投稿者は日本人の方のようだが、「オーストラリアに住んでいた頃、自分がバカになった感覚があった」と。
それは、母国語とは違う言語を処理しようとして脳のリソースが割かれ、考える力が落ちた、というようなもの、だった気がする……。
「おぉっ?」と思った瞬間にミスタッチで画面が切り替わり、その後その投稿は二度と見つからない。(この鈍臭さは単純に老いだろう。)

言語学をほんのわずかに齧る、舐める程度に勉強したとき、バイリンガルの子供について同じような話を聞いたことも思い出し、とにかくこのことはもうしばらく忘れておくことにした。

この「忘れっぽさ」のせいで、うっかりでは済まないことが先日の日本一時帰国の際に起きたのだが、その話はこんなところには書けないので、興味のある方は直接聞いてください。僕も話したい。

代わりにもう一つ、日本で起きた忘れがたい出来事をここに記しておこうと思う。

友人のTくん(別に名前を出してもいいのだが、彼ももう一児の父だ、名を汚すようなことはできない)と連れ立ってトイレへ行き、並んで用を足していた時の話だ。

「ユニクロで大量にパンツを買って帰ろうと思ったんだけど、前開きのやつしかなかったからやめたんだ。俺、あれ嫌いなんだよね。」とこぼすと、

彼は驚いた様子で「前開きじゃないパンツって何?」と僕に聞いた。

「え?」と、思ったことがそのまま声に出たのだが、彼はどうやら本気で言っているらしかった。

冗談ではなく、この世の男性用パンツには須く「社会の窓」がついていると思っているらしい。

「前開きじゃなかったら、どうやって用を足すわけ?」と彼は続けた。

「俺を見ろ!こうするんだ!」トイレ内には他にも人がいたのだが、僕はグイッと体を後ろにひき、思わず語気を強めた。

「生まれてこのかた、一度も前開き以外のパンツに出会わなかったのか?」と彼に言いながら、はたと気がついた。
今の子供は知らないが、おそらく僕の世代の男子が通常の成長過程で遭遇する最初のパンツは白いブリーフであろう。クレヨンしんちゃんがはいているあれだ。
その後、色気づいた者から順にトランクスに興味を持ち出し、修学旅行前にブリーフ族は一度絶滅する。
そこから、ファッションの系統によって細めのボトムスを好むものはボクサーに、開放感を重視するものはそのままトランクスに、と袂を分かつ。
いるかはわからないが人目を忍んでブリーフ族が復活するのもこのタイミングであろう。

お気づきだろうか。
男子が最初に出会うパンツには皆、社会の窓がついているのだ。
そしてトランクスにもついている、はずだ。(ついていないトランクスは僕は知らない)
ボクサーの道に進んだ者のみ、ついている、ついていないの選択ができるのだ。
そして俺はついていない方を好む。

子供の頃は肌身離さず一緒だった社会の窓を、拒絶したのは俺の方だったーーー!?

最近はワルシャワにも店舗ができた日本を代表するグローバル企業のユニクロが、社会の窓を閉ざすわけがない。
常に外へ、外へと開いている。Tくんのこれまでの選択は正しかったのだ。
彼は一度も社会との断絶を選ばなかった。

僕らの会話を聞いていた他の利用客もきっとTくんのこれまでの選択に賞賛を送っただろう。自ら社会の窓を閉じた全ての男たちの代わりに、彼は今日も窓を開き続けている。

後日、この話をTくんとも交流のある別のフェミニンな友人にしてみた。
彼は僕とファッションの系統も近いので、当然閉じているタイプのボクサーの存在を知っていた。
「今日、どんなパンツをはいているの?」と聞くと
「閉じているほう。。。」と、照れながら教えてくれた。

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