流転

37歳になった。

毎年、可能なかぎり友人たちの誕生日にはメッセージを送っている。
同級生に送るときなんかには「あいつももう○歳か」と思いながら。
早生まれの僕はそれから一年ほどしてようやく彼らの年齢に追いつくのだが、4月、5月生まれの友人が多いので、メッセージを送るうちにいつのまにか自分もその年齢になった気になっている。

そんなわけで去年、年齢を聞かれた際は37歳、と答えていた。
本当にそのつもりだった。

雪の深い山小屋で静かに誕生日を迎えたい、という僕の希望で今年は田舎町に宿をとってもらった。

さぁ今日から38だと思って気合いを入れたところで、誕生日のケーキにささった37の蝋燭を見て混乱した。
僕は37歳を2回生きることになる。

『恋はデジャ・ブ』という映画を思い出した。
雪、田舎町、節分、ループ……
俺の話じゃないよな?と思って一応、確認のためにもういちど観てみることにした。
主演 - ビル・マーレイ。良かった、俺じゃない。
俺は目を覚ましたら明日を迎えるはずだ。

この映画は何度か観ているが、記憶の中でシナリオが少し書き変わっていた。
主人公が同じ1日を繰り返し生きている間にヒロインの理想の男性になり、恋仲になったところループから脱し、2人がその後の人生を共に生きていくことを決めるところで映画は終わる。
ざっくり話の筋としてはこうだったはずだ。
何をしても明日が来ない中で、ヒロインの心を射止めることを唯一の希望にして頑張る、という話だと記憶していた。

そんなふうにぼんやりと思い出したせいで、彼は今後、彼女の「理想の男」として残りの人生を生きていくのだろうか、と思った。今までの彼の人格や生活スタイル全てを捨てて。主人公は最初は確かに嫌な奴ではあった。後半は誰もに好かれる真人間に変わるがそれは果たして彼自身なのだろうか。

彼女の方はどうだろうか。
目の前の謙虚で知的、ユーモアがあってロマンチックで、締まった体。素直で楽器の弾ける「理想の男性」が、自分を口説き落とすためだけに身につけられた”一夜漬け”のものとは知らないだろう。

一方で素晴らしくも思える。燃えるような恋をして、全てを捧げたいと思える人と共に今後の人生を歩めるのだから。

でも、そんな話だったか?と思った。
もっと昔のディズニー映画のようにスカッとわかりやすい話だったような気がした。

……見直してよかった。
主人公が絶望の末に自殺を繰り返すことを忘れていた。上面だけを見て好きだったヒロインの献身的な部分に惚れ、感化されること、それが彼の変化のきっかけだったことも。

ほんの些細なことで、いつもと同じに思えた日が特別な日に変わる。

この映画で本当に言いたいのはそういうことなのかもしれない。

彼は変わったのだ。何千回という死の後で、心底惚れた人がいる。彼女のために生きるのは至極当然のことに思えた。

僕は忘れていた。彼は生きたのだ。
無限に繰り返される2月2日を。何度も何度も何度も。

その末に、キャリアや都会の暮らしではなく、
好きな人と、流れに逆らわない暮らしをすることを選んだ。

ただ単に、全て試して1番いい答えを導き出したのだ。

俺の寿命の削り方はどうだ。
去年うまくいかなかったことはいくつもあった。
それを今年は違う角度で試すのはどうだ。
そんなふうに生きてみる。
二度目の37歳を。

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