100年変わらない除幕式のフォーマット。除幕式のテンプレについて考えてみます。
こんにちは、てつやです。広報のお仕事を通じて、色々な地域で除幕式に携わっています。そんな経験から、今回は100年変わっていない除幕式のテンプレートについて書いてみたいと思います。
除幕式のテンプレートとは?
除幕式は、その除幕の対象となるものがどんなものでも、式次第のテンプレート(=ひな形)は古今東西あまり変わりません。
・主催者挨拶
・来賓挨拶
・除幕
・顕彰される本人または家族の挨拶
・記念撮影
・マスコミ取材(ぶら下がり)
・懇親会
こんな感じです。
まず、除幕する銅像や記念碑、モニュメントなど、それを「建立しよう!」と企画した人が挨拶をして、それを寄贈する先の偉い人たちを来賓にお招きし、お言葉を頂戴してから、みんなで除幕。そして記念撮影をしてから招待したマスコミの記者さんたちに取材していただいて、別会場で幕の内弁当やビュッフェなどで好きなものを摘みながらビールやジュースで乾杯、懇親するのが一連のテンプレートになっています。(ここ最近は、感染症対策で、「お弁当付・アルコール無し」が主流になっていますね)
100年変わらない除幕式のフォーマット
広報のお仕事を通じて、除幕式の不思議な魅力に取り憑かれた僕は、除幕式を色々と調べてみようと思い立ち、「全国除幕式データベース」と言うサイトを作り、今、全国の除幕式情報を集める作業をしています。
そんな中、今から約100年前の1919(大正8)年の滋賀県日野町で開催された「蒲生氏郷卿銅像除幕式」というものを国立国会図書館のデータベースから見つけました。
蒲生氏郷さんと言うのは、安土桃山時代の武将で当時、日野町の地域活性に尽力された方のようで、100年前の大正時代に、日野町の地域の人たちが氏郷卿の銅像建立を企画したようなのです。下の写真は除幕当時の銅像の写真です。
SEの代わりに号砲、貴族も登場
興味深いのは、その式次第です。史料にはこんな具合に記載されていました。
(式次第)
第一號砲三發
着席
奏楽(音楽演奏)
會長挨拶(日野町教育會長)
工事報告
奏楽(除幕中)
第二號砲七發(除幕中)
除幕(前田侯爵閣下)一同敬禮(礼)
式辞
祝辞
生徒唱歌
貴賓へ記念品贈呈
製作者へ記念品贈呈
第三號砲五發
大日本帝国万歳三唱
退場
「號砲」と言うのは「号砲」のことで、goo辞書には「合図のために撃つ銃砲。また、その音。」とあります。今で言うところのファンファーレなどのSEと言ったところでしょうか。
除幕パートには「侯爵」が登場されます。戦前なので貴族階級がある時代です。除幕は貴族の方が行ったことが伺えます。現代だと、町長や市長、知事といった地域の首長が担うパートといったところでしょう。
その後、式は祝辞→生徒たちの斉唱→記念品贈呈と進み、ここで3回目の號砲を経て、最後に、やはりこのあたりも戦前ならではと言ったところですが、「大日本帝国万歳三唱」で式が終了します。
若干、戦前ならではの演出になっていますが、概ね式全体のフォーマットは現代の除幕式と変わっていないことがわかります。
(つづく)