就職氷河期に任天堂に就職して人生失敗した元社員の遺書

こんにちは、もみです。
任天堂で長年パワハラを受けて早期リタイア。
今は日本と東南アジアでセミリタイア二拠点生活しています。

本noteの目的

このnoteに最初の記事を書いたのは2年以上前です。
ずいぶん前のことなので、記事を追加する前に本noteの目的をもう一回言っておこうと思います。
最初の記事でこういったことを伝えました。

  • 現役の若者向けに、任天堂で受けたパワハラの経験を元に、「あの時こうすればよかった」という対処法をYouTubeで発信しようとした

  • 需要がないのでやめた

  • やめた後、一部の視聴者から情報発信希望の旨メッセージが届く

  • このnoteで書く(?)

基本的にはそういったことが目的です。
それに加えて、タイトル通り、遺書も目的にしておきます。

死ぬ準備

実は、任天堂在籍時に死ぬ準備はずっとやってました。
S氏にパワハラされ続けて、耐え難い精神的苦痛を受けてた20年前から。
この動画↓で言ったように、その頃は「早く死んで楽になりたい」とずっと思ってました。

なので、いつ死んでもいいように下のような死ぬ準備をしてました。

  • 古い友達と連絡不通

  • 引きこもり

例えば、年賀状を出すのを止めたりとか、同僚の誘いを断ったりとかして友人を減らし続けて、とにかく、自分が死んでも誰も悲しまないといった状況を作ってました。
でも、準備してただけで、結局死ねませんでした。
理由は、動画で言ってるように、楽に死ねる方法が見つからなかったからです。
ここで動画で言った「S氏の机の上に遺書残して、劇薬飲んで・・・」の劇薬についても補足しておきます。

当時、脱北者がたびたびメディアで取り上げられてました。
そこで彼らはよくこう言ってました。
「脱北に失敗して捕まったら服毒自殺してた」
と。
で、それを聞いて僕はこう思ってました。
「その毒はどこで入手できるだろう?」、「確実に死ねるかな?」、「服毒自殺も苦しいのかな?」といったことを。
でも、詳細は分からないままで、そのうちに↓の記事・動画で伝えたように、仲の良かった同僚の自殺をキッカケに「生きよう」と考えを切り替えて。。。

【しくじり任天堂】元任天堂社員 「破竹の勢い」の自殺未遂事件と実際あった同僚の自殺と企業体質

そんな感じで中途半端に終えました。

あれから長い年月が経ちました。
任天堂を辞める時、同期にはこういったこと言い残して去りました。
「退職してからも10年は任天堂に就職したことを後悔し続けるだろう」
「死んでるように生きるなら、生きるを感じて死のう」
任天堂を退職してから9年経った今もその考えは変わりません。
前回の下の記事で書いたように、28年前の5月、任天堂の就職試験を受けたことが人生最大の選択ミスでした。
任天堂退職9周年

この人生最大の選択ミスは、任天堂に就職したことと同時に「毒親と絶縁しなかったこと」もあるのですが、説明が長くなるのでまたの時に。

ちょっと前はコロナで誰もがいつ死んでもおかしくない状況でした。
(上の)前回の記事で書いた通り、安楽死の可能性も出てきました。
なので、少しずつですが、いつ死んでもいいように死ぬ準備を再開しようと思います。

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