東京妥協論:桜新町編
25の時は桜新町に住んでて、よくロイホに行った。駅近くのじゃなくて、246の方の。住宅街抜けてくとポンと現れて、近くにシズラーとかあって、ちょっとハイソな感じがして気に入ってた。私も東京に来たんだなあって思ってた。三茶じゃなくて桜新町を選んだ自分のことも好きだった。その気になればどこにでも行けるっていう感じがした。結局友達飲むのは三茶とか下北ばっかりだったし、飲み友、みたいなの出来るかなと思ったけど全然できないし、そういう時によくあのロイホに行ってパフェ食べて、学生時代に買った文庫本読んでた。
大学までは田舎の経済大学だったからずっと東京には憧れてたし、でも右も左も分からないまま住んだ初めての街は落合南長崎で、本当に何もなかった。アイテラス落合南長崎っていうのがあったな。ファミレスとかスーパーとか入ってる大きめの商業施設で、これってイオンじゃんって思った。それ以外は何もないと思ってた。目白通りと、大江戸線と、山手通りと、アイテラス落合南長崎があるだけ。
でも今考えたら、自転車に乗れば新宿だって中野だってすぐだったし、東長崎には面白い店だってたくさんあったのに、私は、私の中の東京を揺るがせたくなくて桜新町に引っ越した。
ここはレベル15だ、と住んでる時は思ってた。
この街でたくさん友達を作って、東京っぽい横のつながりを作って、いろんな遊び方をしたい、って思って、落合南長崎の時より狭い、風呂にも追い焚きついてないのに家賃は2万上がった部屋で思った。そのタイミングで、大学の時から使ってたこたつを捨てた。そして急に寂しくなったのを覚えてる。
IKEAのソファを置いたら部屋がとたんに狭くなって、無印で収納用具を揃えたりしてたら地味に出費が嵩んで、その月は初めて親にお金借りた。
私のレベルは桜新町では上がらなかった。
というより、レベルが上がると思ってたから私は桜新町で何もできなかった。悔しくて仕方なかった。
親の金で大学から東京に住んでる奴らなんか踏みつけて、私が東京で一番楽しい!って叫びたかった。垢抜けるためなら整形以外なんでもした。なのにあいつらは飄々と友達とゆるゆると遊んだり、オシャレな音楽を聴きながら遊んだりしている。私は何を置いてきたんだろう。
部屋の家具たちがIKEAからIDEEになっても何も変わらなかった。三茶の三角地帯に行っても何も楽しくない。東京がインストールされてる人たちと話していると、自分はこの街にとって借り物ですらないのだと思った。この街にとって私は、アクセサリーですらない、ただの元素の一つ。
そこからいろいろ移り住んだ。2年のタイミングで更新したことなんか一度もない。清澄白河、中野、池之上、吉祥寺、そして今、私は落合南長崎に住んでいる。最初に借りた2倍の広さの部屋に、大きいソファを置いている。
今でもたまに思う。
あのロイヤルホストで、「東京になりたい」と思って小説を読んでいた25歳の私は、終電がなくなった人が流れ着いてくるのをみて、本当は、「帰る場所」がただ欲しかっただけなんじゃないのかと。自分の可能性に押しつぶされそうになって、戦って、そのボロボロの体と心を休める場所が欲しかっただけではないのかと。
優しくない街なんかないんだよ、と、あの頃の私の肩を抱いて言ってあげたら、彼女は泣くだろうか、怒るだろうか。
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