吃音と人助け
こんにちは。
僕が勤めている会社で風疹・麻疹の感染予防対策が始まりました。皆さんが勤めている会社でもすでに導入されている企業もあるのではないかと思います。どちらも感染力が高く、発熱や発疹などの症状が出るほか、妊婦が感染すると胎児に影響を及ぼします。僕は個人的に、こういう類の病気のワクチンは義務化すべきだと考えています。
例えば、もし僕が誰かから麻疹を移されたとして、僕にかかわる人のその妻・子供にまで感染したと思うと本当に死にたくなります。もしその妻が妊婦だったらと思うと、選択肢は一つ、かならず抗体検査を受け、交代がない場合ワクチンを接種します。これからの未来を担う子供たちに、自分たちのわがままで検査しなかったことで影響を与えてしまうのは、大人として恥ずべき行為だと思いますし、防げるものは防いでおいた方がいいので。
前置きが長くなりました。
前述した風疹・麻疹とは関係ないのですが、吃音者の方に問いたいことがあります。
何かというと、誰かが困っているとき、助けたいけど吃音が邪魔で見て見ぬふりをしてしまったという方、少なくないと思います。
これは僕の場合ですが、通勤中の電車でとなりに座った人が下りようとして、椅子の上に財布が忘れられていたことがありました。結果的に側に立っていた方が財布を見つけ、降りようとした人に手渡しして一件落着したのですが、僕がもし吃音者ではなかったら、僕が即座にその人に声をかけて渡していたと考えるわけです。
つまり、忘れられていた財布の存在には僕の方が早く気が付いていた、ということになります。本当になんて優しくない人間なんだと自分を卑下してますが、要は「吃音が邪魔して手助けができない」言い換えれば「吃音があるがゆえに、困っている人を見て見ぬふりをしてしまう」ということです。
助けたい気持ちは大いにあるのです。しかし内心で、「吃ってしまったら恥ずかしい思いをするから、余計なことはやらないでおこう」という思考になるのです。もし仮に、僕が財布を届けており吃音もクリアしていれば、成功体験として自分の自信になっていたと思います。結果、この日以降の行動が若干アクティブになります。
しかし、助けたい気持ちとはずかしい思いをする気持ちで比べるとなると、一瞬「恥ずかしい思いはしたくないな」となり、見て見ぬふりをしてしまう吃音者は多いはずです。
様々な行動に抑制をかけるのが吃音です。言葉を発しにくいだけが症状ではありません。日常生活にいろんな支障をきたしています。しかし、「この人冷たい人だな」とか思わないでください。
吃音ではなかったらなんでもやってやりたいのです。
今回は人助けという観点で書かしていただきました。
では。