真実の愛とは。そんな事を考えるのは愛という言葉が人生にとって重要になるとわかっているからだ。愛とは美貌や美しさだけでなく、心から信頼し合える存在であろう。心の中の美しさという部分を外見という美しさに呑まれてはいけない。社会は美人を許容するようにできているが、本当にそこが大事ならば、性格や心はどうでも良いということになる。そんなはずがない。共に歩む人。真実の愛というのはそんな薄っぺらい話ではなく、心から信頼できる関係であろう。
色々と愛について書いているのだが、下記の記事は僕が恋愛について必要なことを述べたものであるから是非機会があれば見てほしい。
外見と中身
外見の中にあるもの、中身の中にあるもの。多くの人は外見という枠でその人自身を判断するが、それは全く意味をなさない。ここでは外見が良いとか悪いとかそんな話をしているのではなく、本来の美しさはどこからきているかということを話そう。まあ、人というもの外見は大切であろう。しかし、多くの人が一番見落としているのはその人自身が自分にとって一緒にいるべき人であるかということに依存する。一緒にいるべき存在は美貌だけでは成り立たない。仮に美貌だけで成り立っているとして、自分の心を差し出そうとすれば、それ以外なにも差し出せられない。美貌は歳を取ればなくなる。これが現実だ。それを踏まえた上で何が大切なのか。それは心である。心の中にあるものをしっかりと見なければ愛というものそのものが分からなくなる。いい歳こいて女遊びに明け暮れてる男性もいるであろう。しかし、そこに愛があるかと問われると分からない。ここで重要な事は、中身が綺麗な人はそれが外見として現れる。それが美しさというものではないかということ。
心と愛
心の気持ちと愛は結びつく。経験はないだろうか。話した時に直感でこの人と波長が合うなと。それは誰しもが経験することかもしれない。しかし、世間の中では顔や外見、そんなものが優先されてしまう。まずもって言おう。心から人と接することでそこに愛情が生まれる。訳のわからん、蛙化みたいな話が一時期流行っていたが、そんなもの必要でない。重要なのは心と心が結びつくことによる愛情というもの。愛情は外見で計れるものではない。心も外見で計れるものではない。だから、嘘をつけばバレる。嘘の愛情なんて誰しも気づくであろう。ましてや外見だけで人を選ぶなんていうのは愛情もなにもないであろう。
最後に
僕が言っているのは入りは顔でも性格でもなんでもいいと思っている。しかし、付き合って外見だけそれだけを愛情として受け入れているのなら、愛情というのはそいう考え方では成り立たないという事を理解してほしい。