あのときのことば ③ 『 間 』
『 間 』 2016 / 03 /16
先週 『 Futbol&Cafe mf 』であった
「 フットゴルフ 」のトークイベントで
日本代表でもある友人の “ コージ ” が
こんな話しを教えてくれました。
「 面白いことに、国によって
ゴルフ寄りなのか
サッカー寄りなのか分かれるんだよね 」
「 特に、カップが近くなってきてから。
ゴルフ寄りのイングランドなんかは
ボールをセットした後
普通のゴルフでパターを打つときみたいに
芝目を読んで、素振りをして
とにかくゆっくり、慎重に 」
「 でも、サッカー寄りのアルゼンチンなんかは
ボールをセットしたら
あまり間を置かずにすぐに蹴るんだよね 」
オレはフットゴルフやったことないんですが
想像したらめっちゃ難しいんだろうなと思ったんです。
それは「 間 」があるから。
サッカーやフットサルだと
味方も、相手も、ボールも、展開も
すべてが次から次へと流れていくから間がない。
ゆっくりと「 考える 」時間はなくて
パッと「 感じて 」
サッと「 反応していく 」しかない。
それは
十分に考える時間がない「 間 」とも捉えられるし
逆に
余計なことを考えないで済む「 間 」とも捉えられる。
自分にとっては
間がなく反応していくほうがしっくりくるので
セットされた間のあるフットゴルフは
いろいろと考え過ぎて、迷いも生まれちゃって
すっげえ難しいんだろうなと思ったのです。
でもコージの話しを聞いて
例え間があったとしても
「 間をコントロールすること 」が
できればいいんだなと。
素早く蹴ることで
間を埋めたアルゼンチン選手のように。
それは、なかなかに新しい発見でした。
サッカーやスポーツだけでなくて
仕事や表現や生活のなかで
何かを決断して実行するときも
同じようなことなのかなぁと思います。
身体も心も頭も一致した違和感のない決断ができる
自分にとってしっくりくる間を知ること
そして、イメージする間が存在しなければ
コントロールしてそれを生み出すこと。
人間、時間、空間、世間、隙間、仲間、etc
「 間 」って、かなーり深けえっす。
『 熱中している心は
つねにチャンスを見つけ出す 』
作家 パウロ・コエーリョ