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ボールとの友情を。
これは
どっちが正しいかどうかの話しではないですが
自分は「ボールに座るのはOK」派なんです。
むしろ「どんどん座ろうよ」ぐらいな。
頭ではわかるんです
ボールが変形しちゃう可能性があることも
大事な道具の上に座るなんて!っていうことも。
でも自分の場合、心がそれに追いつかないんです。
ボールの上に座ることで失うことがある。
ということは
ボールの上に座ることで得られることもある。
例えば、「自由でいられる感覚」 とか。
ボールの上から見える景色や
友だちとの距離感、自分の心の開き方って
公園での木登りと同じように
いつもとはやっぱり違うんですよね、自由な感じで。
自分はきっと
その自由な感覚を強く求めていて
サッカーっていうスポーツには
それがふんだんにあるから
40年近くも(!)飽きずにずっと
やってるんだと思います。
キャプテン翼の「ロベルトノート」には
サッカーの自由が書かれていましたね。
「 なぜサッカーはこんなにも楽しいんだろう。
世界中で愛され
親しまれているスポーツ、サッカー。
オレが思うに
それはもっとも単純で
もっとも自由だからじゃないだろうか。
グラウンドに立てば
監督からの指示はあまり必要ない。
自分で考え、自分でプレーする。
何に縛られることなく
他の10人の仲間達とただ一つ
ゴールを目指し戦うスポーツ、サッカー。
サッカーは自由だ。
ピッチ中央、ボールを持ったらどうする翼。
何をしてもいいんだ。
ドリブルしても、パスしても
シュートしても。
何をしないで止まっていてもいい。
パスだって、前にも横にも
後ろだって、どこだってOK。
それはドリブルだって一緒だ。
翼、サッカーは自由だ。
オレはそんなサッカーが大好きだ。
だから、翼にも
サッカーをやり続けるならば
誰よりもそのサッカーを愛してほしい。 」
自分のなかではサッカーはずっと
スポーツというよりたまらなく面白い遊びで
「旅」と並んで
「史上最高の遊び」だと思っています。
なので、やはり
ボールは道具というより「友だち」に近い感覚。
7年くらい前のブログで
サッカーボールに座ることについて
今でも思っている、こんなことを書いていました。
「 もし、自分がサッカーボールだったら
崇められて遠ざけられるよりも
ネコが主人に乗るように
なんの遠慮もなく座ってほしいです。
触れ合うことで
お互いのいろんなことを感じ合いたいです 」
そう、マラドーナってまさに
「ボールは友だち」を
感じさせてくれた選手だったなぁ。
アルゼンチンのスポーツ専門局が作ったという
このマラドーナの追悼動画、ぜひ観てほしいです。
主人公は「ボール」。
マラドーナが育った場所や
所属したチームなどを辿っていき
最後は、生まれた家に戻るという内容です。
ラストに出てきたスペイン語は
ボールからマラドーナへのこんなメッセージ。
「 一緒に遊んでくれて、ありがとう 」