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自分の事が嫌いでも人が好きならそれでいい

11/30 土
この日は兄貴の結婚式があった。
兄とは仲良くないし結婚式そのものが苦手だったので気が重かった。

しかしもう大人なので出席はしないとな。と思ったら親族顔合わせに普通に遅刻した。式開始ギリギリになっちゃった。横浜遠すぎる。
しかし問題児の弟で通ってたので想定内だったっぽい多分

神父が片言の日本語で話すのでいいとも年末特大号のタモリのスピーチを思い出し、必死に笑いをこらえていた。

いいとも終わってからずる休みしてもつまんなくなったよね

絶対わざと片言のままにしてるだろ!
その方がみんなやさしくしてくれるからだろ!日本住んで長いだろ!アグネス・チャンみたいなことすな!


別に祝いたくないわけではないがパーティーが苦手なのだ。みんなの前でキスする必要ないだろう。

兄貴もバンドやってたので会場bgmは自分で選曲したらしい。オアシス、コールドプレイ、レッチリ…まあそんな感じよね。ロキノン〜

そういや遅刻して会場着いた時ウェディングプランナーの人が俺の顔見た瞬間「弟さんですね。」と親族控室に通された。すばらしいサービスなんでしょうけど地面師みたいにリサーチされてる感じがしてなんかな…となる。

しかしウェディングプランナーだいたいofficial髭男dismみたいな男とビズリーチ!みたいな女子いるな。学生バイトなんかリア充感あってな、リアリティショーみたいに同僚と恋愛しとるんかと勝手に卑屈になって気づいたら煙草吸ってた。

この人の名前知らない

披露宴の最中は眼鏡外してなんも見えないようにしてスルースキルモードで乗り越えた。
兄貴は私と違って陽キャ寄りやな。そういう目で見ちゃいかんのだろけど。

親父が気を遣って「ここでoasisはベタだな笑」と言ってくれた。
俺は思わず酔ってたのもあって「しゃべーよな笑」と言ってしまった。
親父は俺と似て根暗だな。いつもテレビに文句ばっか言ってた。そっくり。

定年退職して親父は優しくなった。。

親父はあんま怒らない人だった。父性全開で説教とかしてこなかった。
後から聞いた話だが父方の祖父、親父の親父は少しネグレクト気味の人であんま働かなかった人らしく親父は父親としてどう振る舞ったらいいか分からない感じだった。

その代わり一生懸命朝から晩まで仕事して俺たちを食わすことで父親をやっていた感じだった。
でも毎日ため息ばかりで嫌そうに仕事しててそれが嫌だった俺は…

父親として当たり前で凄いことしてたと大人になって思うけど俺はそんな生き方はできないなとなった。

もっと人生はとかそういうこと教えてほしかった。なにより生活が大事だろうけどさ。。

親戚みんな俺に気を遣って優しかった。そりゃ引きこもりが何とか社会復帰して非正規だけど仕事して一応自立したわけだ。
マイナスがゼロになった感じで、俺のこと諦めてたから一生家にいると思ってたんだろうしな…

何より俺はかわいかったしな!

自分で言ってしまうが俺は末っ子で一家のアイドルだった。みんなの前で赤ん坊みたいな顔して甘やかされた。甘える以外の接し方がわからなかった。未だに友達とか好きな人たちの前で気を許すと赤ちゃんみたいな顔しちまう。

俺はこのままじゃ駄目なんだろなとも思う。
でも赤ん坊のまま大きくなってその無垢さのまま社会の中で傷ついてなんかわけわからない歌を歌ったり絵を描いたりしてる。

もうそうやって生きていくしかないんだろなとも思う。

兄貴はそんな俺を気に入らなかったか思って言ってくれたのか説教とか罵倒したりしてきた。でも多感な時期にお前は駄目な奴だと言われ続けて俺は心を閉ざした。

最後のほうで兄貴が大学の後輩と一緒にバンド演奏しはじめてうわ〜恥ずかしいとなってしまった。
でも岡村靖幸歌い出してびっくりした。へ〜岡村ちゃん聴くんだ。

式がようやく終わってさっさと帰ろうとした。去り際兄貴にぼそっとおめでとうと言った。もうちょっと話してもよかったかな。素直になれなかった。

しかし兄貴の友人たちみんなシソンヌ長谷川みたいでなんか信用できんな〜と思った(大失礼)

シソンヌ長谷川


帰りにぽあだむみたいな夕陽撮れた

夕方に終わったのでリフレッシュしようと横浜のスカイスパに行ったがめちゃコミックな感じで行列ができてたので、少し歩いて反町浴場に行った。
ここ最高です。サウナブームから離れた老舗の銭湯サウナしか生き残らないでしょう。

石鹸シャンプーサウナマット持参したほうがいいぞ!

夜にゴールデン街でにゃきさんとカシマさんと熊蔵くんのお絵描き飲みイベントがあったので行ってみた。



ようやく謝りたかった人に謝れた。


ライブハウスで喧嘩するのはやっぱ駄目だ。
あれからたくさんのイベントを見て色んな人が自分たちの場を作ろうとしているのを見てきた。

それをぶち壊してしまうかもしれない行為だった。

優しい言葉をかけられて自分の小ささが恥ずかしくなった。


楽しい夜だった。色んな人たちと話した。

カシマさんがたくさん話をしてくれた。

人と交流しないとわからなかったことだらけの1年だった。恥かいてばかりだったな。
でもライブハウスという場がなかったら俺は自殺してたと思う。
ライブハウスなんて内輪だって逆恨みしてたのにな。

12/1日
朝起きたらいい年こいてでけえニキビできてた。羅生門の下人か。

この日は休みだしゆっくり過ごすかと昼過ぎまで二度寝三度寝した。(寝ないと駄目な人)

夕方になってまたトレファク巡りするかとなった。

電車の中でずっとジュディマリとスピッツを交互に聴いた。
最近ジュディマリのラッキープールばかり聴くわ。

たまにそれしか聴きたくないモードになる時ありません?
なんでだろな今の不安の中でポジティブに一歩踏み出す気分にぴったりなんかな。
「こわくなんかないよ〜」の部分が好きすぎる。
こんなに聴きまくってると逆にラッキープールに嫌われるんじゃないか不安になるわ。突然もう再生させませんとか表示されるんじゃないか…
ジュディマリは曲はいいけどギターがうるさいなと思いつつこのベストアルバムのジャケット、ベストアルバムの頂点といってもいいと思う。
オリジナルアルバムにも見えてくる。これは理想的ですな。

結局この2人がJUDYとMARYなの?



しかしこの90年代末のJPOP最盛期を感じてると小6ぐらいを思い出すわ〜。あの頃はメロディが豊潤でしたね。。

当時は最新のヒットチャートはカウントダウンTVという番組でしかわからなかった。

この3人の名前知らない


最新の売上なので深夜に放送されるから子供の俺は見ることができなかった。
そのため王様のブランチの昼のワンコーナーで先週のランキングが再放送されるのだが子供のころの俺は食い入るように見てた。

この頃は寺脇康文、さとう珠緒が司会


しかし大人になって思う。なんで先週やねん。先週の情報でもみんな知りたかった、そんな時代だったのか。

そういやルーマニアモンテビデオ復活っていうからoasis外れちゃったしそんな曲知らんけど見に行こうかな。

最近世紀末小学生ヴァイブスだからブリグリとかマイラバとかラルクとかイエモンとか聴く。

当時ノストラダムスの大予言という1999年に人類が滅亡する。というオカルトが大流行りした。
阪神大震災とかオウムとか少年Aとか陰鬱な事件が連日のように報道された。ワイドショーの不安煽りはこの頃ピークだった。
ネットもあまり普及してないのでカウンターになるものがなかった。そこでこの大予言であった。

子供の間では99年にみんな死ぬからいいじゃんとカジュアルに厭世感を楽しんでいた。たぶん大人もそんな感じだったと思う。俺はこっそり信じていた。ノストラダムスはまるでサンタクロースみたいだったな。

そんな空気の中ヒットチャートの音楽はポップだった。
しかし今でいうシティポップのような80年代の充足感とは違う空気のポップさだった。
なんだろう、ほぼ全てがデジタルレコーディングになったせいもあるけど
この頃のJPOPって銀色になって白いライトを照らされているようだった。(2000年代になるとそれはより顕著になる)

鈴木あみのbe togetherのジャケット(99年)


それに対抗するバンド音楽はゆっくりサイボーグにされるのをギリギリ踏みとどまっている感じだった。
97〜99年くらいになると暗い影を落としたテイストが目立っていた。間違った方向に時代が進んでいることに向き合えずただ遊び呆けてたポップさが影をひそめてた。かといって攻撃的ではない、自分の心だけでも大切にしようとしているメロディー。ルーマニアモンテビデオとか本当そんな空気だったよな〜って思い出させるな。

ブリグリも今ちゃんと聴くとめっちゃいいな!

あと当時見ていなかったけど旧劇エヴァの映画は本当に90年代の終わりの空気がよく表現されていたと、大人になって見た時妙に懐かしくなった。
庵野秀明は世紀末の象徴だったのかもな。

カレカノが一番好き。銀色のような灰色のような映像の色これぞ世紀末

あとアニメだとウテナのEDもめっちゃ世紀末っぽい

今の時代の気分もなんかあの頃の世紀末感に似たものを感じてる。

しかし休みの日にトレファク巡って歩きすぎやろ。最近のテレ東の旅番組ぐらい無駄に歩いてる。

戦利品

レーサーっぽいスウェット。トッポい。


アメリカの宅配業者〜。袖にロゴ入ってるの熱い

12/2 月
この日は何もできなかった。仕事から帰ってずっとだらだらしてた。すべてをホッカペのせいにした。

12/3 火
この日はなんとか新曲を完成させようと近所の最安のせますぎるカラオケに入った。

書きかけの新曲か、昔作った曲どっちかを路上で歌えるように仕上げたい。

新曲は最後の方に一捻り加えたかったがそのアイデアが浮かばない。
昔作った曲をやるかと聴き返してみたが歌詞が恥ずかしすぎて聴いてられない。
さっき言った言葉もちょっと気にしちゃったりする人間が数年前の自分の言葉なんて香ばしいに決まってるだろ!
ちょっと一部書き直すか〜。

しかし時間的に深夜なんで別の部屋で若者たちが盛り上がってる中アコギ持ってカラオケ入るとちょっと恥ずかしいな。
いやいやもう路上やってんだから今更恥ずかしいもないだろ。

しかし完成はせず時間になってしまった。

12/4 水
仕事終わりに歌いたいとなった。
遅番のあとに歌える街は吉祥寺だけだった。
高円寺も新宿も21時過ぎるとすぐ止められることがわかった。

仕事終わりのほうがいいライブできるなと最近気づく。解放されたテンションと昼のフラストレーションをいい感じにぶつけられる。

またサンロードの本屋の前で歌った。
この日はめちゃくちゃ強気で警察でもなんでも来い、一番でかい声で歌ってやるよと叫び倒した。

一組カップルが立ち止まった。さらにでかい声で歌う。

歌い終わって彼女のほうはかなり酔っ払ってるようだった。就活したくないとかどうして青山の前で歌ってるんですかとか言われた。
彼氏がベースとドラムやってるというんでやってみませんか?と聞いたら首をかしげられた。

2曲目を歌ってたら彼氏が帰ろうとしてたが彼女はまだここにいようとしてて無理矢理連れ帰ろうとした。彼氏に「チューニング直したほうがいいっすよ」と捨て台詞を吐かれた。うるせー。

でも嬉しかった。なんもリアクションがないよりマシだった。

5曲終わってぼーっとしてたら警察来た。マイナンバーカード渡した。

気分は晴れやかだった。煙草がうまい。

帰り道楽器持った人が結構いることに気づく。高円寺や下北より多い気がする。
吉祥寺とか中野の方がスタジオあるし練習拠点にしてるバンド多いのかな?じゃあ狙い目はそういう街なんじゃないかと気づいた。

今日は自分の声がもう一段階変わることができた気がする。大満足。

12/5 木
この日は休み。昼に耳鼻科に行った。
俺が毎週鼻の穴と喉奥に耳かきくらいの綿棒突っ込まれてるの誰も知らない。

休みの日はマジでのんびりしたいから歌いたくないな〜と思うんだけどもうやるしかないな。路上やらないと落ち着かない体になってきた気がする。


7時に高円寺北口広場で歌った。
駄目だ昨日と違って声が出ない。
通り過ぎる人たちと自分の間に時空の歪みみたいなのを感じた。

吉祥寺に移動した。9時半過ぎてシャッターが下りないとサンロードで歌えない。

昨日と違ってバンドマンが見当たらない。水曜日にみんな練習してる感じなのかな。

昨日と違う場所で歌った。あの美味いメンチカツ売ってる店の横。

満足いく声が出ない。でも負けない。目を瞑ってもっと自分の世界に集中した。すると不思議なもんでいつもよりギターのカッティングが激しくなった。喉が駄目なら全身で表現しよ。身体を癲癇のように痙攣させた。ギターに歌わせるんだ。

その時わかった。楽器って自分の周りの空気を、次元を歪ませるためにあるんだ。街行く人は自分と違う世界を生きている。みんなねじれの位置にいるんだ。
でも、俺のことは見えてるんだろ?

もっと歪ませろ。俺は別の世界線から来たんだ。興味ないか?
カッティングで刻むリズムが裏になったり表になったり、生きているように声とユニゾンさせる。カウントなんか知らない。お互い生きてるからリズムになるんだよ。

持ち曲歌ったあとまだ歌い足りない。
また本屋の前に行った。

体育祭祭祭と2004を今日この日で音楽辞めるつもりで歌った。

何かまた新しく音楽に触れられた気がした。誰も立ち止まらなかったけど何か得られた気がする。


晴れやかな気分だった。路上をはじめて心に筋肉が少しついてきた気がする。
これが俺に必要なことだったんだ。

なんか恥ずかしいという感情が少しなくなってきた気がする。

へんなおじさんのでっけえホクロの位置にニキビできても街を堂々と闊歩できるしね。

わたすですか!?

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