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産業には資本ポテンシャルがある

トリクルダウンという説があった。富者が儲ければ貧乏人にもお恵みが回ると言うものらしい。
しかしこれは嘘だ。
資本(労働者、資金、技術、資材)はポテンシャルの高い一次産業へまず汲み上げなければ流れない。
水は高い所から低い所へと流れる。電流も電位の高い所から低い所へと流れる。
この高さ(落差)のことをポテンシャルという。
マンションの各戸にあまねく給水するにはまず屋上に汲み上げねばならない。
資本にも流れる方向性がある。
労働者は楽して稼げる方向へと志向するが実際には労働人口の多い方から少ないほうへと動くしかない。物資は需要の低い所(余っている方から足りない方へと)から高い所へと動く。カネはあるほうから足りない方へとしか動かない。
民間市場を放任しておけば経済はやがて資本が膠着して流動性を失う。
資本がポテンシャルを失うからだ。
これは水に例えれば理解しやすい。水は落差がなければ流れない。資本も同じ。少数の国際的資本家が資金を寡占してしまえば、彼らはより資本効率の良さそうな企業にしか投資しない。国債などの市場を維持しようと政府が通貨を増刷すれば資金は金融市場を廻るだけで、一二次産業へは回らない。刷ったカネが生産の資金とはならず資本家が資産の数字を増やすにすぎない。これでは食糧や必需物資の生産は増えない。従って国家は崩壊に向かう。
ではどうすれば良いのか。
国家は何のためにあるのか。
人々が食糧や生活必需物資をうまく供給し合えるように古代からその知恵として国家が発生してきたのではないか。
現代国家では資本を国家が管理するのが妥当だろう。なぜならば国家はその国の住民の生活のために資するものでなければ存在意義はないからだ。他国の独占資本に貢ぐための存在であってはならない。
資本も水と同様に落差、つまりポテンシャルがあればその方向に流れる。
水をマンションの屋上に汲み上げるにはエネルギー(仕事)が要る。
個人の能力ではそのエネルギーは得られない。だから国家が資本を一次産業のポテンシャルレベルまで汲み上げてやる必要があるのだ。

政府、中央銀行は資本を


一次産業へ回した資本、つまり労働力、資金、資材は生産にまわる。農産物が多く収穫できれば、食品加工業も生産を増やす。食品が増えれば商業も潤う。食糧物価が下がる。物価が下がるということは通貨価値が上がるということだ。
労働者、資金、資材は適時的に同期して回さねばならない。労働者だけ都会から地方へと送っても生産はできない。生産に必要な全ての資本を総合的に動かさねば生産には繋がらない。これが可能なのは政権でしかない。
また先端工業にも資本を回す必要はある。製造業は一般に農業ほどポテンシャルが高くはないが政策的に資本を供給してやらなければ競争力を保てない。専門的科学技術を駆使した産業開発、生産効率の向上には優れた人材育成が欠かせない。教育だ。これも子どもの出世意欲任せでは無理だ。
国家は人材育成に資本を投じなければならない。つまり教育は基本的に無料であるべきなのだ。
社会的共通資本という考え方がある。
交通のインフラもそうだ。
地方が不便では生産面積も縮小するし、人材も育たない。いわゆる新自由主義とかネオコンなんていうのは国家崩壊に繋がる。資本は局在的に寡占してはダメである。各地方あまねく生産に活用できるように、その時、その地域の実情に即して柔軟に回すべきなのだ。
そのための国家、政府である。
一般にこうした経済思考を社会主義と総称する。
社会主義は地方保守的である。リベラルとは志向性が異なるかもしれない。
政府は資本ポンプの仕事をすべきだ。
資本ポンプとは資本を汲み上げて適材適所に供給する国家の仕組みとして制度設計すべきである。そして計画的に現状を評価し、データは公開し、人工知能でも駆使して最適化できる資本管理システムを開発したいものだ。

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