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社会主義の新たな定義の試み

人の世の移ろいは天変地異のような偶然(人にとっての)と物理的な流動性の法則によっているだけである。
自然界の変化を確率的と言うならば流動性の法則はポテンシャルのおきてである。
需要と供給のバランスと言うのは流動性の均衡のことである。
経済の流動性にも物理学の
圧=流れにくさ×流動量‥‥①
があてはまる。
実際には両辺にこれが重なって多項式の形式となるだけである。
流れにくさにあたるものが、税、金利、制度の手続きの煩雑さ、手数料などである。
経済における自由というのはこの流れにくさ(動かしにくさ)を0に近づけることに相当するのだろう。関税が0ならば自由貿易となる。
また
ポテンシャル傾斜=定数×場の変化速度‥②
も成り立つ。
傾くほど、位置の変化が速くなるのである。
物事を解決する能力というのは、自然変化の確率を操作することが不可能であるから、ヒト、カネ、モノの流動性を調整することに尽きる。それが政治である。
戦争というのは圧に相当する。
①式の圧を極大化するのが戦争なのだろうけど、実際には流動性は小さくなってしまう。なぜならば流れにくさも増大してしまうからだ。
意図的に圧をかければ、それを打ち消すように逆向きの流れが発生するからだ。
ヒト、カネ、モノの分布に偏りがあれば、つまり分布密度に勾配があれば圧が生じる。もちろんそれによって正常に流動していればよいが、①式が複雑な多項式となっていればどうなのか?
①式は実際には
圧1=流動抵抗1 × 流動量1
圧2=流動抵抗2× 流動量2
圧3=流動抵抗3× 流動量3

圧n=流動抵抗 n×  流動量 n
これらを辺々たし合わせたΣになっている。
だから政治というのは流動性の采配を要求されるのである。
社会主義というのは新たに定義を考えるならば、社会的に必要な系へ必要な量の資本供給を促進する総合的な政策を促す思考ということになるだろう。

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