アフターアワーズヒストリー①
11月19日、金曜日。
僕たちアフターアワーズはワンマンライブをします。
場所は心斎橋Pangea
11月19日ってのは僕たちが5年前、今は無き関大前TH HALLで初めてライブした日で、そっから「なんやかんや色々」あって遂にワンマンライブするんですよね。
やから、ただのワンマンライブって訳じゃなくて、なんかこう色々と思い入れがあったりして。
きっとライブが始まってしまえば、突っ走ってすぐ終わってしまうと思うやろし、自分たちのことを話す時間も余裕もないと思うので、ノートにこれまでのアフターアワーズの歴史をツラツラ書いていこうと思います。
今回は2015年〜2016年編、最初期のアフターアワーズについて書いていきます。
そもそもは僕とタミ(Gt.cho)がバンドを結成しようぜ!ってところから始まりました。
お互いやってたバンドも終わって、何をするわけでもなく、シンプルなフリーターを2人ともしてて、バンドやりたいな〜なんてことを1年くらい言うてたと思います。
そっからドラムとギターだけじゃバンドは難しいな〜って話になって、ベースを探そうということになりまして、ベーシストを探し始めることになります。
そこらへんのこと鮮明に覚えてはないんですけど、なんやかんやあって歌えるベーシストがええなあって感じになったのだけは覚えてます。
歌えるベーシストって難しいんすよね、見つけるん。当時ぼくが知ってる中でそんな人周りにおらんかったんですよね。
そうしてたらタミが「弾き語りの人にベース弾きながら歌ってもらったらええんやないか」って旨のこと言い始めて、そっからショーくんに声をかけました。
僕とタミは、元々中学生の時くらいに知り合ってて、お互いその頃から遊んだりしてて、僕とショーくんは、祝春一番って野外コンサートのスタッフで今から8年くらい前から知り合いで、タミとショーくんは、先述した関大前TH HALLで共演してたらしく
そんな感じで3人で会ったことないけど、各々で会ったことあるみたいな3人でした。
タミは、共演した時にショーくんの歌を聴いてたから勿論、僕も祝春一番スタッフの中で慣例になってる弾き語りの見せ合いみたいなんでショーくんが"ジョージのテーマ"を歌ってたんを聴いてたんで、ショーくんええやん!ショーくん誘ってみよ!みたいな感じになったんですよね。
まあでも言うて、僕とタミからしたらショーくんって9歳上で、当時の僕らなんか22歳とかの超若造やったんで、相手にしてもらえるかな〜って思ってたし、普通に断られるやろな〜と思って、ダメ元で連絡してみたんですよね。
そしたら、即答で「ええよ」って来まして、誘っといてなんですけど、変な人やなって思いました。
しかもベースに関しても大学のコピバン時に一回弾いたことあるとかないとかそんなくらいやったのに、よおオッケーしてくれたな〜とか思ってました。
それからなんやかんやでとりあえずスタジオ入ってみよ!って話になって、日程決めて、合わせれる曲無いから、斉藤和義の「歩いて帰ろう」と踊ってばかりの国の「東京」を合わせてみよかってなって、スタジオに入りました。
初スタジオは十三の246で入ったことくらいしかおぼえてないです。
それから何回かスタジオ入ってみたり、ちゃんとバンドとして活動していこう!みたいな話したりして、曲作りしていくんですけど、これがまた全然上手くいかんくて、作っては無くし、作っては無くしみたいなこと結構やってたと思います。それが多分6年前くらい。多分。
そのくらいの時期に僕はタミに誘われてYMBのサポートに加入したりしてました。初ライブもYMBの方が早かった思い出があります。
そもそもYMBの前身バンドというかユニットみたいな(宮本さんと伊藤さん2人でやってた)やつでタミがサポートギターをしてて、バンド形態にしたいな〜って思ってたところに暇そうなドラマーがいるよってので僕に話が来たって流れでした。
僕とタミは、そこから3年くらいYMBのサポートとアフターアワーズを兼任してました。
そういえば、宮本さんと伊藤さんのユニットとショーくんはそれよりももっと前に共演してたみたいです。
そういうのも思うと、やっぱ感慨深いです、ほんと。そういう関係性があって、初ライブの時にYMBに出てもらうって流れになったり、そういうところから今も関係が続いてるん、すごい嬉しいです。
話は戻って、そもそも僕がYMBのサポート誘われたくらいの時期って、まだバンド名決まってなかったような気がする。
あと、アフターアワーズってバンド名は、僕の父親がやってるバーの名前から取ってるんですけど、最初めちゃくちゃごねた思い出があります。
今となっては、おとんも応援してくれてて、誰かが「アフターアワーズめちゃ良かった」みたいなツイートしてたら、片っ端からいいねしてるのを見るので、まあ、なんか良かったんかなとも思います。
息子としては結構複雑やけど。
たまに友達からお前のおとんからいいね来たでとか言われるのが特に複雑やけど。
まあ、兎に角、なんやかんやの議論があって、バンド名はアフターアワーズに落ち着いたんですよね。
僕の記憶が正しければ、僕らのことをアフアワって最初に言うたんはYMB伊藤さんやった気がします。豆知識。
話は戻りに戻って、僕らの曲作りは難航してたんですけど、そんな時に初めて3人で納得いく曲が出来たんですよね。
それが「バイバイ」でした。
タミが温めてた渾身のコード進行にショーくんがメロディーをつけて、歌詞は大半ショーくんが書いたけど、スタジオで色んな言葉の案を全員で出し合って作った曲。
今でもライブのセットリストから一回も外れたことが無い曲ってこれぐらいなんちゃうかな。
この曲をきっかけに僕らは曲作りが出来るようになっていくんですよね。
本当に出来て良かったです。嬉しい。なんやかんや、全員1番思い入れあるんちゃうかな。
バイバイが出来たことによって僕らはライブしたろやないかい!ってなったような気がせんこともないです。
そうして初ライブに向かっていくことになるんですけど、だいぶ長くなってしまったので、今回はこの辺で。
次は初ライブとか春一番とかについて書こうと思います。では、またまた。