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アトツギとなるまで〜大学時代を振り返る|〜
どうも『はたらく×くらす』を木と鉄で育む建築屋 丸善工業3代目の長善規(@maruzen3rd)です。
前記事でアトツギとなるまでの学生時代をまとめようとしたら想定以上に書くことが多く高校時代〜大学入試編と大学時代編にわけてまとめている。
長野県の信州大学・大学院で学んだ6年間は非常に充実したものだった。
このポストは大学時代を振り返りどんなイベントや学びがあったのか綴りたい。
信州大学というタコ足大学について
長野県に位置する信州大学。
後期試験でなんとか滑り込み、怒涛の3月をすぎて松本市で一人暮らしを始めた。
信州大学はタコ足大学。一年目は松本市にあるキャンパスで一般教養を学び、二年になったら各学部のある市へ移り住み専門を学ぶ。
教育学部と工学部は長野市。繊維学部は上田市。農学部は伊那市。経済学部などは松本市。
つまり松本市で1年過ごしたら今度は長野市に引っ越さなければならなかった。
つまり・・・彼女を見つけるなら1年のときしかないのだ。
工学部といえば男女比率が10:1。
もしも彼女ができずに長野市へ行ってしまうと出会のチャンスは激減すること間違いなし。
そんなことばかり考えていた。なにをしに大学へ進んだんだか。。。
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初めての一人暮らし。初めてのバイト。初めてのサークル活動。初めての合コンw
とにかく長野での生活は友人にも恵まれて毎日が充実していた。
実は大学一年のときからお付き合いをしていた彼女が現在の奥さんでもある。
出会いはハンドボールサークル。長野市と松本市という中距離恋愛だった。
就職時にはすでに結婚前提で動いていた。このことはまた別の機会にまとめたい。
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大学での学び
信州大学工学部社会開発工学科建築コースは自然豊かな土地での建築を学ぶには充実した環境だった。
当時の設計の課題は
・個人住宅
・集合住宅
・民家の再生
・コミニティスペース(松本市内蔵の改修)
・長野市 門前町 空きスペースの再開発
と地域の歴史を地域性を学び、現代の課題に向き合い、未来にむけて設計する課題が多かった。
この設計がまた楽しかった。
答えの導き出し方も千差万別。
仲間たちの発想はいつも新鮮で新たな刺激を受けまくっていた。
特に「民家の再生」と「コミュニティスペース」の設計がはまった。
歴史的・構造的な制限がある中で最適解を導き出す手法が楽しくて
何日も徹夜して課題に取り組んでいた。
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設計課題の中で気になるキーワードがあった。
「温故知新」:
日本のことわざで、「古きを温めて新しきを知る」という意味。
この言葉は中国の古典『論語』に由来している。
意味
• 「温故」: 過去や歴史、古い知識や経験を振り返り、それを深く理解すること。
• 「知新」: そこから新しい知識や発見、創造を得ること。
つまり、過去の知恵や経験を学び、それを元にして新しい価値や理解を生み出すという教えである。
いつからかこのキーワードが自分の設計スタンスの軸となっていた。
卒論や修論のテーマは「伝建地区における現代の暮らし方」に焦点を当てたものだった。
長野県南に宿場町「奈良井宿」がある。
伝建地区に指定されるほど昔ながらの宿場町の風情が残っている。
その歴史的な街並みのなかで現在も住民が普通に暮らしているのだ。
近くに「妻籠宿」という宿場町もあるがこちらはより観光に特化している。
歴史的建造物を大切に守りながらどうやって現代の暮らしに対応しているのか。
その手法とは?意識とは?工夫とは?
夢中になってしまい、結局大学4年から院2年まで長野市から通っていたのだった。
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アトツギとしての葛藤
大学時代は伝建地区と木造建築、民家の再生に夢中になっていたけれど家業は「鉄骨業」。
そう、工場や倉庫などの鉄骨造の建築がメインの事業だ。
このままでは同じ建築という分野であるものの全く性格のことなる道を歩むことになる。
アトツギとしてこのままでいいのだろうか・・・葛藤はなかったw
家業にもどったら鉄骨造を学べばいいしうまくいけば木造と鉄骨造のハイブリッドができるんじゃないかと軽く考えていた。
とにかく夢中になれることが見つかったんだからとことんやってみよう。
先代の父に相談することなく大学内の研究室も大学院への進学も事後報告で済ませたのだった。
その後、研究室の仲間たち一緒に異業種交流会を立ち上げた。
大学生と長野市に住まう社会人やビジネスマンが繋がる場「こもん場(ば)」。
毎月テーマを決めて大学の先生や経営者を招きパネルディスカッションを企画した。
2年間続き卒業と同時に後輩たちに引き継いだ。
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じぶんがどんな建築の道を歩むのか、入学当初は全然見通せなかったけれど、
設計課題や新たな出会い、様々な活動によって自分の軸が明確になってきた。
就職先も木造住宅の建築からまちづくりまで携われる企業を中心に探した。
将来は民家の再生といったリノベーションをやりつつも街の再生も手がけていきたい。
漠然とではあるけれど、じぶんのライフワークの種が生まれた気がした。
問題は家業との兼ね合いだった。
鉄骨加工業とどう結びつければいいか答えは持ち合わせていなかった。
しかし「常に行動していれば道はつくられる」ことを大学時代に学んでいたので心配はなかった。
そして新社会人編へと続く。