いま改めて私にとっての”極上”を捉えなおす。ペニンシュラ・ブーケセッションから1年半越しのパスボール。
2023年10月に咲凛さとさんのペニンシュラ・ブーケセッションに参加した。
ブーケセッションとは、花材を束ねながら、抑圧から解放して自己表現する、一種のセラピーのようなものである。そのセッションを高級ホテル・ペニンシュラで開催するのが、さとさんの夢なのだという。私は恩人で同志とも言えるさとさんを応援するべく、このセッションに参加した。
この時のテーマは”極上の女”とは何か?であった。このテーマについては、当日まで考えたことがなく、ランチ中もブーケを束ねている間も、あやふやであった。
当日は、参加者が自分にとっての”極上”を語っていた。有名な女優さんなどを例に挙げて、こんな風になりたいと話す方もいた。私も、さまざまな有名人を思い浮かべていたものの、いまいちピンと来ていなかった。
私にとっての”極上”とは、いったい何なのであろう?
モデルやビジョンとなる人はいるのか?
新たに自分にとっての”極上”を捉えなおすのか?
ブーケセッションが終わった後に、私はふとした時に、考えを巡らせるようになった。
兄弟が住んでいる高級タワマンや、ビジネスクラスの海外旅行? ブランド品? ペニンシュラのような高級ホテルを日常使いすること? 値札を気にせずに買いたい物を手に入れること? いや、物質的なことではないのかもしれない……。
そうして、たしかJR高崎線で高崎駅に向かっていた時、突然閃いたのである。
極上とは何か。研ぎ澄まされた五感で血液の末端まで己を感じる。私が私であることの喜び。ただただ私を開く。エネルギーの大いなる循環。これぞ私にとって極上の、本物の豊かさなのだ。
私は毒親の元で長年にわたって自己喪失していた。自分の感性も感覚も押し殺して生きてきた。だからこそ、自分の五感と感性をフル回転することが、私にとって、喜びである。
今、私は移住先で、その感覚を味わっている。風のにおい、湿度、雪や氷の硬さ、なめらかさ、採れ立ての海の幸、山の幸の味覚。私にとって、これこそが、極上の体験である。
ただ、これには続きがある。いま、改めて”極上”を捉えなおすと、また考えが変わってくるのだ。
いまの私が考える”極上”とは、以下のようなものだ。
私がこの世に生を受けたこと。生きていること。
私がいま存在しているということ。
おそらく、これだけで人間には尊い価値があるのだ。
家族の病や、震災の経験を振り返りながら、ここ数カ月の内に、私はそう確信するようになった。
そうして、いま生きていることを”極上”と捉えたうえで、
五感と感性をフル回転しながら発信し、クリエイターやアーティストと交流しながら、おもしろいもの、うつくしいもの、味わいのあるものを創造すること。私の死後も、人の感情を沸き立たせる、マグマのような作品を作ること。
忘備録として、ペニンシュラ・ブーケセッションの恩恵として、これを記しておきたい。
これからも私にとっての”極上”は、更新を続けるであろう。