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鳥取砂丘とライカのオールドレンズと雪
SIGMA fp & LEICA summilux-M 35mm f1.4 2nd
植田正治の愛した鳥取砂丘、遠近感を錯覚させ、人と砂の平坦で空虚な世界はSF映画のよう。
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何度も訪れているが、結局はエモくもない空虚な写真ばかり撮る羽目になる。
オールドレンズの周辺減光と淡いボケのグラデーションは、空虚さを演出するというこれまた空虚な使用価値を生む。
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空虚だ。写真を撮る意味などあるのだろうか?
人々は「鳥取砂丘」という#を記録し、SNSで共有し、そして自らの記憶と歴史を演出する。スマホで十分な開かれた世界。
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僕のライカのオールドレンズで撮られた写真は、閉じられた世界。
それは内省的で、あわよくば世界を少しでも動かすことができるような影響力があれば・・・なんて思いつつ、そういった虚栄心はとうの昔に捨て去ったことを思い出すちょうどよい空虚さ。
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内省的な感情の表現は、手当り次第インプットした巨人たちの写真のコピーのコピーのコピーであり、劣化したJPEGデータのように空虚さをより醸し出す。
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この自己満足を暴露させる静かな砂丘の情景は、教科書的に定式化された構図や、いわゆる映える演出や、砂丘に依拠したポートレートなどの小手先のあれこれを無益だと感じさせる。
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承認欲求すら感じさせない空虚さの中では、写真は不要なのである。
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冬の日本海の強風と、天気予報にはない雪が降り始め、かじかむ手はよりシャッターボタンを押すことを敬遠する。
そんな中でも体裁が悪くないように撮られた力の抜けた写真は、僕が撮ったのか記憶の中のコピーがそうさせたのか、よくわからないのである。
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