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調子の悪いカメラでストリートスナップしてみた時の時間感覚

なんか調子が悪い私のRICOH GR。
思えば積年の物欲を仰々しく夢として変換することで買ったライカM3を手にしたときに降ってきた楽天ポイントなるものが物象化したのが、私のGRであった。

往時はコンパクトデジタルカメラがiPhoneによって存在意義を完全に打ちのめされ、それはもう安かったのである。
リバイバルブームという名の大衆消費の反芻により、いまや売り切れ御免とのこと。

そんな中古のGRだが、具合が悪い。
バッテリーを交換する度に、初期設定が求められ、電源を入れれば画面は真っ暗、再起動してAFを合わせようとすればウンウンと明治時代の小説に書かれるような魘されよう・・・
たしかに手にしたときから少々傷まみれ、そして同時期に手にした半世紀前のライカとは似ても似つかないチーププラスチック感、まあそんなものだろう。

写欲を発して電源を入れても画面真っ暗で「それ」を逃し、AFが暴れて「それ」は野に放たれる。
ストリートスナップは狩りのようなものであるが、獲物は悠々と大草原の果てでこちらを気にもとめずに消え、そして帰る場所へと去っていく。

圧倒的なテンポの乱れは、軽い絶望と新たな感覚への陶酔。
苛立ちと意図しない出来高、この妙なトリップ感は自己満足の極みである。
テンポのズレは、自分が撮っているのに他人が撮った写真を見ているような不思議な感覚。

そこに何があるかなどどうでも良い、偶然との接近は撮影に宿る写真の時間感覚に気づかせてくれる。
どうだろうか?撮った写真はその前後の数秒、または数日をたしかに宿している。写欲に吐き気をもよおしたとき、その場へ向かう準備のために予備バッテリーを充電するとき、撮れ高を確認して懊悩するとき?

撮影はテンポであると同時に、多様な時間をぶつ切りかつ重複しながらも一過性の確固たる時間として記憶している。
手軽なカメラで撮るその時に、無意識下では複雑な感覚が収斂して1枚の写真に宿っているのである。
そこにある時間感覚が見る人にも伝わることこそ、いわゆる善しとされる写真なのではないだろうか?



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鉄人
サポートいただきましたら、すべてフィルム購入と現像代に使わせていただきます。POTRA高いよね・・・