📻『高橋源一郎の飛ぶ教室』を紹介する
今日はラジオ『高橋源一郎の飛ぶ教室』を取り上げようと思う。このラジオでは、作家・高橋源一郎の面白い話が聞ける。放送の前半では一冊の本を取り上げ、後半ではゲストを招いて話を聴く番組である。
〈放送について〉
放送局:NHKラジオ第1
日時:毎週金曜日 21:05~21:55
放送時期:2020年3月~
とはいえ、「高橋源一郎って誰?」という方もいらっしゃると思うので、彼の作品を紹介しておく。
作家・高橋源一郎について
高橋源一郎は村上春樹や村上龍と同世代の作家であり、ポストモダン的な作品を精力的に出している小説家である。
とくに文壇デビュー作である『さようなら、ギャングたち』は本当に強烈な作品であった。小説を読んでいるはずなのに、詩を鑑賞しているような気分になるのだ。(表現が美しいという点で、あるいは訳が分からないという点で。村上春樹作品よりも分からない。)それでも読ませる。それほどの力がある文章なのだ。
また、この小説家はたぶん、”文豪モノ”を初めて生み出した作家かもしれない。(今となっては、朝霧カフカ『文豪ストレイドッグス』やDMM GAMES『文豪とアルケミスト』など、文豪を題材にした作品はありふれているが。)代表的なのは『日本文学盛衰史』である。
この作品では、「明治時代の文豪たちが平成初期にいたら?」という仮定を基にして、ストーリーが展開されている。夏目漱石が森鷗外にたまごっちをねだったり、田山花袋がアダルトビデオの監督になったりする。
また、この作品から高橋の日本文学に対する造詣と洞察の深さが窺える。とくに夏目漱石『こころ』におけるKの正体についての考察は必見である。
ラジオの話に戻ろう。
『高橋源一郎の飛ぶ教室』について
前半には【秘密の本棚】、後半には【きょうのセンセイ】というコーナーがあり、その間に一曲流れる。今週放送されている回を例にとって、具体的に番組の構成と魅力を説明したい。(配信期間は2020.10.09-2020.10.16)
お察しの通り、番組タイトルはケストナー『飛ぶ教室』のパロディである。気楽な、知的好奇心をくすぐるような、教室らしくない教室をコンセプトとしている。
【秘密の本棚】
このコーナーでは、高橋源一郎が一冊の本を紹介し、その感想や勘所を語る。勉強になるが、お勉強にはならないのが魅力的だ。
この回の本は、三島由紀夫・東大全共闘『美と共同体と東大闘争』であった。1969年に行われた、三島由紀夫と東大全共闘との討論をまとめたものである。難しい本である。
この本の中で高橋が言及したのは、次の部分である。
ただ私は今までどうしても日本の知識人というものが、思想というものに力があって、知識というものに力があって、それだけで人間の上に君臨しているという形が嫌いで嫌いでたまらなかった。
全学連の諸君がやったことも、全部は肯定しないけれども、ある日本の対象教養主義からきた知識人の自惚れというものの鼻を叩き割ったという功績は絶対に認めます。
三島がある種、東大全共闘を認めていることが分かる。
また、ある全共闘の学生が三島由紀夫のことを「三島さん」ではなく「三島先生」と呼んでしまう部分にも触れている。東大全共闘の学生が、思想的には敵であるはずの三島を、うっかり先生と呼んでしまうのだ。
このように、三島由紀夫と東大全共闘という思想的な立場では正反対にある人々が、お互いを認め合っているのだ。(こんにちの政治対話に欠けているものではないかしら。)
毎週一冊ずつ、新旧問わず面白い本が紹介されていくので、読書好きも絶対に聴いたほうが良い。
【きょうのセンセイ】
このコーナーでは、ゲストを一人招いて、話を聴く。この回は作曲家・編曲家の野口義修がゲストであった。話題はビートルズのすごさについて。私自身は音楽に明るくないので、込み入った話ができないのはご容赦いただきたい。
① コーラスが演出する深み
ビートルズの楽曲の歌詞は、平易な単語によって構成されているという。それにもかかわらず、楽曲には”哲学的な”深みが出ている。この相反しかねない楽曲の性質を、コーラスによって両立しているというのだ。(でも詳細を語りすぎるわけにはいかない。ぜひラジオをお聴きになってほしい。)
② スキーマ~ビートルズは生きている
スキーマとは無意識に習得している知識のことである。当時の全世界のミュージシャンがあまりにもビートルズを聴き込んでいたものだから、現在のミュージシャンの楽曲の中にビートルズの要素が入りこんでしまう。この意味でビートルズは生きている。
さらに、ビートルズの楽曲自身にも、時代の試練を超えてきたジャズやイギリスの伝統的な音楽の要素が含まれている。つまり、錆びない要素によって音楽ができているのだ。その意味でもビートルズは生きている。
③ ♬『Fool on the hill』
この曲はガリレオ=ガリレイについて歌ったものであるらしい。この曲の魅力は、聴き手の感情に呼応した転調にあるという。曲中で、日中の長調から、日没の短調へと遷っていく。情景に対応した転調となっているのだ。
ぼんやりと聴いていたビートルズの楽曲の中にある豊かさというものが、やんわりと分かった気がする。(しっかりと分かったというには、まだまだ”ニワカ”である。)
より面白い内容については伏せている。詳細はラジオにて。
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