昨日マリア.シュナイダーが呈示したもの

昨日池袋でマリア.シュナイダーが東京のミュージシャンとクラシックとジャズの両方を演奏するコンサートがありました。私は行きませんでしたが、SNSに上がった会場の写真を見てああやっぱり、と思いました。東京芸術劇場というかなり大きなホールでPAを使わずに、最少限度のモニターで必要最小限な音をミュージシャンに返すというセッティングで何の問題もなくコンサートを行ったということです。日本ではクラシック以外のジャンルの音楽では、コンサートやライブといえばPAが入るのが当たり前という前提で大音量にしちゃうのが一般的ですが、マリアはそうしなかった。というかこれがアメリカのビッグバンドのサウンド作りのデフォルトなんですよね。ベイシーもメル.ルイスも基本的に生音で全体のバランスを作っていました。90年代にvisionesでよく見たマリアのバンドもせいぜいソリスト用にマイク立てるだけで生音でした。彼女のJazz Standardでのライブアルバムの収録現場もたまたま初日に見ることができたんだけど、普通に収録用のマイク立ててるだけでした。生音でアンサンブルを構築するってのは別にウィントン.マルサリスの特権ではなくて実は誰でもできるんですよね。実は私が主催するアンサンブルやビッグバンドでもギター以外(ギターはボディが小さいのでアンプ使わないと管楽器とバランスできないし、マリアみたいなサウンドであればエフェクト必須なのでアンプは必要)生音、すなわちベースを生で演奏するというスタイルを取ってそろそろ8年くらいになります。それを日本の若手ミュージシャンが体験できたのは彼らに取って大きな経験だったのではないかと思います(ちなみ昨日のメンバーで私のアンサンブルに参加してくれたことのある人も数名いました)。これから彼らが演奏していく現場でのサウンドのバランス作りのデフォルトが変わってくるのではないかと。それともう一つ。日本ではどうしても日本のミュージシャンを海外のミュージシャンより一段下にみたがる傾向がメディアなどの中にはっきり残っているんだけど、昨日のコンサートを見た人はそれが幻想に過ぎないことに気がつけたのではないかと。現場に行ってない奴が何を偉そうに言っておるのだ、と思われるかもしれないのですが、マリアのサウンドは想定できるというか、アメリカに住んだことのない日本人の中ではおそらくは最も沢山彼女の演奏を見ているという自負があること、この10年くらいジャズは可能な限り生音であるべきという考えを持っていたのを昨日のコンサートで彼女が呈示したこと、自分の音楽経験の中で日本人と外国人みたいな壁はとっくの昔になくなっているのです。会場の写真を見てそんなことを思いました。

実は2年くらい前にマリアに単身できてもらってディレクションしてもらうことについて彼女本人とメールでやりとりしたことがあったんです。状況的に時期尚早かな、ってこととこっちも資金的に無理だったのでたられば話で終わっちゃったのですが、ちゃんとした組織が後ろにつくとできるんだよなぁ、と思うとともに、あー、ようやくこういう時代が来たのか、という気にもなりました。

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