劇団時代の話その2
脚本家になるために、仕方なく始めた役者修行。私は、ほっそい眉毛の元ヤン先輩の指導のもといきなり週五日の稽古に参加した。とはいえ最初は台本なんか配られない。やるのは、どんな効果があるのかわからない珍妙な稽古だったのだ。
まず『肉練』と呼ばれる肉体強化練習から開始。大学の外周を走らされ、腹筋腕立て背筋スクワットストレッチなどの体育会系的メニューを、高校剣道部だった私は余裕でこなしていた。ただ、「俳優に筋肉って必要なの?」と疑問に思っていたが「言われたから」と従っていた。つまり妄信。ほんと良くないけどね。
室内の稽古場に場所を移して行われる練習メニューは以下の通り。
発声練習
お腹から声を出す腹式呼吸。ひたすら横隔膜を使って「あ!あ!あ!」と声を響かせた。寝ながらやると出やすいと言われてやってみたり、腹を押しながら声を出したり。腹式呼吸が出来ると喉に負担がかからず、喉を痛めて声が出なくなる事もなくなると言われ、舞台俳優にとって、これがとにかく一番大事なのだと、日々横隔膜を鍛えた。問題は「舞台俳優にとって一番大事だが、映像俳優としては?」というところである。舞台で響く素晴らしい発声というのはつまり、映像の俳優にとっては、うるさい、周りから浮く、クサく見えちゃうオーバーリアクションになりがち、というデメリットがある。まあ、慣れてくればギアを入れ替えるように、普通の音量で喋ればいいのだが、最初はムリ。大きな声で演技をするのが普通になっているので、小さな声では演技をしている気にならない、つまり気持ちが悪いのである。(演技に気持ちよさなんて必要ないのだけれど、若造にはノリが必要なのである)
滑舌
これはいわゆる早口言葉。『外郎売』を読み上げるところも多かったが、うちの劇団は何種類かの早口言葉を言わされた。「新人歌手新春シャンソンショー」とか「秀吉どのも秀吉どのじゃがねねどのもねねどのじゃ」などの出典不明な早口言葉も言わされた。「処女膜再生手術室助手」これ、女子も言わされていた。今じゃ立派なセクハラ行為。
ストップモーション
先輩が手を叩く度に、ポーズや表情を変えて止まる。ポージングの反射神経鍛える版。慣れてきたら次第に感情を込めたりする。だんだん変顔大会になりがちで、変な癖がついてしまう、危険な稽古方法(私見)である。
感情開放
ふたりひと組で向かい合って「喜び」「怒り」「哀しみ」「楽しみ」などの感情をぶつけ合う。顔を真っ赤にしながら「てめえこの野郎!」とか「最高!」とか言ったりするのだが、この稽古が一番ゾッとする。おそらく感情をぶつける相手がいる方がいいという理由で向かい合ってやるのだろうが、なんと言うか、洗脳システムっぽい。端から見ててとても怖い。「変な宗教団体がいます!」と通報されかねない。
タルエダ(樽枝)
その場で足踏みするところから始まり、先輩の号令で走ったり、もも上げしたりする肉体訓練。先輩が「樽!」と言ったらジャンプして、「枝!」と言ったら枝を避けるようにしゃがむ。ちょっとドンキーコングっぽい。かなり足に来る稽古方法。
千手観音
足を肩幅に開いて、大声で歌いながら、両手を、ありとあらゆる方向へ伸ばしては引っ込める。それを高速で行い、手の残像がまるで千手観音がごとくに見えるよう努力する。
とまあ、これが基本のメニューである。
先輩に「このメニュー、なんの意味があるんスか?」と聞いたが、「今は意味なんて知る必要ない。気合いだ!」と言われた。
きっと先輩もそのまた先輩からそう言われて来たのだろう。
ただ先輩は「これは早稲田の演劇研究会のメニューを参考にしている」と自慢げに言っていたので、私も「早稲田と言えば鈴木メソッドじゃん! じゃあ間違いないじゃん!」と妄信してしまったのだ。
後から聞いたら、鈴木メソッドなんかでは、全くなかった。(今でも鈴木メソッドってなんだかよく分かっていない。下半身を強化して表現の幅を広げる的な、まあ、そんな身体表現メソッドだったような気がする)
この一連の練習方法は「演技の恥ずかしさを、洗脳によってなくす」ことにある。この練習をやり続けると、恥ずかしさの基準がドンと下がる。突然笑ったり、嘆いたり、走ったり、裸になったりする事が、恥ずかしくなくなってくる。人としてとてもキケンな事だが、役者にとってはちょっと便利。
だって、役者って恥ずかしい事をする職業なのだから。「好きだ」って言って頬を赤らめなきゃいけないし、「ごめんなさい」と言われてわんわん泣かなくちゃいけない。しかもひと前で、カメラの前で、緊張感溢れる場所で。そんなの恥ずかしいに決まってる。それを「はいはいはいやりまーす」って出来ちゃうのは、この稽古をしてきたから。
この稽古のおかげで、必然性があれば脱げちゃう。必然性なくても脱げちゃう。だからまあ、やっておいて損ではなかった。ありがとう学生劇団の四年間!
と、これが大きな間違い。
でも当時はそれに気がつかなかった。
役者にとって、むしろ大事なのは「なにが恥ずかしいか」を知っている事なんだと思う。恥ずかしさの基準がドンと下がってしまうと、つまり「寒い演技」を連発してしまう可能性があって、現に私はちょっと寒い演技をしていた。過去形にしていいのか微妙だけれど、まあ、その話はいつかまた。今はまだ、話せる程、過去になっていないのだ。
さてここからは、学生劇団を卒業して十年後の話。
ある劇団で共演した、早稲田の演劇研究会出身の先輩俳優との会話。
「早稲田の練習メニューやってました! 樽枝がめっちゃ得意でした!」
先輩との共通点を使い、気に入られようとしていた私に先輩が「タルエダって、気に入らない後輩を追い出すために俺が作った、単なるしごきだぞ」と言った。「ただ辛いだけの、意味のない練習だよ」と呆れていた。
多分ほとんどの稽古が、根拠のない、意味のないしごきメニューでしかなかったのだろうなあ。高校剣道部から教師、先輩の教えは疑うことなくやるべしの教えが染みついていた。だから、とにかく、言われたとおりにやった。それが正しいと思っていた。そして私はおおいなる回り道を歩くことになるのだった……。
ほんと、疑うこと、大事なんだよね。