IT業界から障害福祉業界へキャリアチェンジした理由①
こんちには
ヤマムラテツタロウです
いま箱根駅を見ながらこれを書いています
昔はマラソン中継の面白さが全くわかりませんでしたが
なんかいつの間にか見れるようになってました
静かすぎず、うるさすぎず、BGMとして丁度いいんですよね
さて、今日は
「IT業界から障害福祉業界へキャリアチェンジした理由①」
について綴っていきたいと思います (①とついているということは、何回かに分けて書いていくということですね、、、まとめ下手ですみません、、)
今日のお話は「自分自身の根底にある感覚や思いが原動力」というお話です
小学生の頃に感じた、疑問や憤り、悲しみなんかを綴っていきたいと思います
卑怯なコウモリは本当に卑怯なのか
と、、、その前に、、、
皆さんは「卑怯なコウモリ」というイソップ童話を聞いたことがあるでしょうか
昔々、鳥と獣が争っていたときのこと
鳥が優勢になると鳥の味方をし
獣が優勢になると獣の味方をしていたコウモリ
やがて争いが終わり、鳥と獣が仲直りをしたとき
どちらにもいい顔をしていたコウモリは
どちらからも嫌われてしまい、暗い洞窟の中で
ひっそりと暮らしていくのでした
というのがざっくりとしたストーリーです
そして広く一般に知れ渡っている、この物語の教訓は
「自分に都合が良くなるように、立場や言動を変えるような人は、やがて誰からも信用されなくなる」
というものです
子ども時代に、学校の先生や家族から、この教訓の文脈上にある言葉をかけられた覚えのある方も少なくないのではないかと思います
かわいくない子どもは今日も哲学する
前置きが長くなりました
ここからが今日お話したいことの本題です
この卑怯なコウモリのお話しを聞き、ヤマムラ少年が感じたことこそが、数十年の時を経て障害福祉の世界に足を踏み入れることに繋がる、きっかけの物語です
その時ヤマムラ少年が抱いた思いは
・コウモリかっけー!(サバイバル能力ばりエグっ!)
・コウモリ別に全部は悪くなくね?
・みんなと仲良くしたかったのかもしれんくね?
・だいたい争ってた鳥と獣が悪いやん!!
・なんでコウモリだけ仲間外れにするん?
・みんなと一緒じゃないとダメなん?
でした
たしか先生にもこういった趣旨のことを話した記憶があります
本当にそう思ったんですよね
まぁ、こんな感じで、事あるごとにフォーマット化されたマジョリティな意見に疑問をもったり、「大人が期待する答え」を言わなかったり、みんなと一緒じゃなくても全然気にならない子どもだったわけですから、なんとも捻くれているというか、大人からすれば、かわいくない扱いづらい子どもだっただろうなと、我ながら思います(実際、級友や先生から、嫌味、悪口、仲間外れ、無視なんかのいわゆる、いじめを受けたこともありました。あっ、あと人に対して「扱う」という表現大嫌いです)
これって社会福祉的なんじゃ、、、?
ただね、今になって、当時のヤマムラ少年の感覚に思いを馳せ、こう思うのです
けっこう社会福祉の理念とかソーシャルアクションの動機に近くね?
と
厳密にその概念を追求すれば、ズレているのかもしれませんし、学者さんに言わせれば全然ちゃうで?って言われるかもですが、当時のヤマムラ少年の気持ちを今のヤマムラおじさんが翻訳した結果、少なくとも
・柔軟に考えを変えることは悪いことじゃない
・争いを避けようと試行錯誤するのは卑怯じゃない
・みんなの意見が全て正しいとは限らない
・少数派が虐げられるのはおかしい
・誰だって幸せになる権利がある
といったようなところは、社会福祉やソーシャルアクションの考え方に近いところがあるんじゃないかなと思います
どうだろ、買い被りすぎですかね?
でもいいですよね!?
いい!いいですよ!!
自分の人生、自分の感覚を大切にしなきゃ!笑
まだまだ、不勉強で社会福祉の社の字もわからないような私ですが、自分自身が感じた思いや感覚は大切にしながら、理論と実践の繰り返しの中で、自分なりのソーシャルアクションを確立させていきたいなと思います!
おわりに
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
今日は、私が障害福祉業界に足を踏み入れたのは、自分自身の根底にある感覚や思いが原動力なんだというお話でした
次回は青年期のことについて綴っていきたいと思います
ちなみに、卑怯なコウモリのお話には続きがあるようです
二次創作なのかどうなのか、出典はわかりませんが、
気になる方は
「卑怯なコウモリ」(孤独の選択)
でググってみてください
コウモリさんかっけぇぇえええ!!!
ってきっとなるはずです😁
ではまた、次のnoteで🙌🏻