運命を変えた問い
こんにちは、田村(@tetsu_tamu07)です。
初のnoteのため。簡単な自己紹介をします。
2001年(当時19歳)にとある外食企業に入社、もうすぐ在籍20年。
現在は複数店舗を統括するマネージャー。新たに社内コーチとしての活動を計画中。本業の傍ら、社外でもコーチングを提供。
ZaPASS(https://zapass.co/)というコーチングプラットフォームにてコーチングを体系的に学ぶ。
「店長ちょっと来て下さい!!」
1Fで接客していた僕は2Fのスタッフに呼ばれ、いそいで2Fに駆け上がる。そして視界に入ったのは激昂しているお客様と泣いているスタッフ。どうやらお客様に何かこぼしてしまったらしい。いそいでお客様のもとに駆け寄り謝罪をすると
おもいっきり殴られた。しかも2発。
まさか殴られるとは思わなかった。
でもそんなことはどうでも良かった。
そのお客さまにはその後も誠心誠意謝罪しなんとかお許しいただけた。
本当に気がかりなのは泣いているスタッフ(Sさん)のことだった。
どんな気持ちなんだろう。
自分のミスが原因で上司が殴られているところを見るのは・・・。僕だったら耐え難い。
Sさんは最高の笑顔と明るい雰囲気をまとった人で、いるだけで多くのお客様とスタッフを元気にしてくれる存在だった。
相当後悔しているだろうし、もう繰り返したくないと思っているだろう。
どうすればSさんの笑顔を取り戻せるのだろうか。
言葉は自然と出ていた。
「ありがとう、キミのおかげで覚悟が決まった」
「お客様やスタッフを元気にできるような最高の店にする」
「その為にはキミの笑顔が必要だから、力を貸して欲しい」
その店舗は翌年に過去最高売上を更新
その後Sさんはアルバイトながら多くの店舗に携わり、お客様とスタッフを元気にする存在となる
スタッフのミスでお客様に殴られても、それを見て泣いているスタッフを励まし、その涙に心を打たれ僕自身さらに「使命感」に燃えるといった状態だった。
自分の内側から根拠の無い「自信」と「やる気」があふれ出ていた。
お客様の為、スタッフの為、会社の為に全力で突き進めばいつだって道はひらける。そう思っていた。
店とスタッフを守る為なら本気で切腹する覚悟で駆け抜けた店長時代。どんな困難も乗り越える「覚悟」があった。
僕はその後も多くの店舗運営に携わり、社内で最年少、最初のマネージャーとなる。
そしてそれから10数年後、うつ状態となる。
このnoteは
「自分をすり減らしながら働いている」
「以前の様に頑張れない」
「自分軸ではなく他人軸で考え、行動してしまう」
「自分の人生の舵取りを自分で出来ている気がしない」
そんな人に届けたいと思って書いた。
他者の評価や顔色を伺いながら実力の10分の1も発揮できずに苦しんでいるキミの「痛み」や「苦しみ」が僕には痛いほど分かる。
でも忘れないで欲しい。「痛み」の奥には「願い」があるということを。
なぜもっと頑張れないのか、どうして以前の様にやる気が出てこないのか
かつてあれほどまでに自分の内側から溢れ出ていたやる気と自信が枯渇していくのを感じた。それはとても苦しかったし悔しかった。
自分をすり減らしている様な気がする。。どうすれば良いのだろう。。
僕の以前抱いていた「使命感」は偽物だったのだろうか、スタッフや会社を愛し誇りを持って働いていたあの時の自分は消えてしまったのだろうか、そもそも初めからそんな自分はいなかったのだろうか。
運命の問い
そんなうつ状態の中で接客をしている僕に声をかけてくれたお客様がいた。ありがたい事にその方が経営する会社に引き抜きのお誘いだった。
後日その方とお会いすると開口一番こんなことを聞かれた。
「お兄さんが人生で成し遂げたいことは何ですか?」
この問いが僕の心に再び火を灯すトリガーとなる。
答えられなかった。自分の人生なのに。
内省の始まり
答えられなかったけど、この言葉によって強烈に自分の内面にスポットライトがあたった。
それから1年、ことあるごとに考えた。
ボクが人生で成し遂げたいことは何だろう?
自分のやりたいことって何だろう?
考えても答えは出ず、
途方にくれた。
でも答えが出なくとも、考え悩む過程で思考が深まっていく感覚、自分の中に問いかけていく感覚は貴重なものだった。
それからまる一年考えて出てきたのはこうだ。
・人の力を引き出したい
・自分らしく活き活きと働く人を増やしたい
・自分をすり減らして働く人を見たくない
・自分を見失いながら働く人を見たくない
これが僕の「願い」だった。我ながら実にシンプル。
シンプルでも威力は絶大だった。
その「願い」を捉えた時に再び自分の中から「やる気」や「自信」が湧いてきたのだ。
僕は今、仕事もプライベートも最高に充実し楽しんでいる。
自分の軸を取り戻す
僕に必要だったのは、ひたすら頑張ることでも、責任感に燃え他者の為に無理して頑張る事でもなかった。むしろ一度立ち止まり自分の内面と向き合い、自分の願いを捉えること。そして自分の軸を取り戻すことだった。
それから僕は偶然コーチングと出会い、実際にコーチングを受けてみた。
頷きながらゆっくりと話を聴いてくれる「傾聴」
普段意識していない所にスポットライトを当ててくれる「問いかけ」
在りのままの自分を受け入れてくれる「承認」
コーチングにはボクを蘇らせたあの「運命の問い」と同じ効果があった。
まじめで責任感がある人ほど自分より他者や責任を尊重してしまう。
僕はそんな人が大好きだし心から尊敬する。だからこそそんな人に自分を見失って欲しくない。そんな人を応援したい。
資本主義のど真ん中で働いていれば誰だって役割や責任、他者の思惑、正しさや正解によせた思考や言葉を選択するようになる。それは仕方の無いことかもしれない。
でもそんな日常を続けていたら自分を見失ってしまう。
だから定期的に自分と向き合う内省の場が必要だ。
自分と向き合い、自分の中にある想い、感情、感覚、願いを捉える。
捉えたら自分の「願い」と繋がれる。
自分の「願い」と繋がれれば他人軸ではなく自分軸で生きれる。
誰だって自分の人生を生きている。
それなのに自分の人生の舵を他人に握らせてはいないだろうか?
自分の人生の舵を取り戻そう。
他者から信頼を失うのは辛い。でも他者からならまだいい。本当に辛いのは自分を信じれなくなる事、自分に失望しながら働く。そんなのは本当に地獄だ。
だから僕はコーチングを体系的に学び始めた。社内、社外問わず多くの人にコーチングを届けたい。
願いと繋がれ!
キミの想いも、やって来た事も、なくなってなんかいない。
今がどんなに無力感に苛まれていても、たとえ他人の評価や顔色ばかり伺って一喜一憂していたとしても、それが苦しいと思うなら、それが痛いと思うなら、その痛みの奥にキミの「願い」がある証拠なんだ。
「願い」と繋がれればなんだってできるから。
外を探しても見つからない。「願い」はキミの中にあるから。
だから大丈夫だよ。一緒に見つけに行こう。
※この記事に出てくる「うつ」という言葉は、専門的な診断を受けたものではなく、個人の主観として当時感じたことをそのまま記したものになります。また、本記事の記載はあくまで一個人の体験談に基づくものであり、医学的検証を経たものではありません。