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若者のすべて


行きつけの美容室で髪を切った。
ぼくはここの美容師さんが好きだ。

はじめて訪れたとき、ぼくはパーマ予約をしていたのだが、現状の髪質や痛みを考えて、中期的にアドバイスをくれた。結局パーマはやめましょうということになった。
オーダー通りよしなにやってくれてもいいのだが、こういった圧倒的な顧客目線かつ職人としてのこだわりみたいなものに強く惹かれて、ずっとこの人のもとで髪を切っている。

ただ、美容室で会話をするのが昔から苦手だ。
なんか話しづらい、世間話や興味ないことを上澄みで話してる感じが気持ち悪いなって思ってしまって、だいたいいつも、静かに縮こまって雑誌を読んでいる。

◆◆◆

その日はたまたま、メンズファッション誌の『Fine』を読んだ。最近知り合った方が、『Fine』の編集をしているということで、僭越ながらはじめて手にとって読んでみたのだ。

そこで、元レミオロメンの藤巻さんのコラム記事に目が留まった。

書かれているのは、フジファブリックの『若者のすべて』について。

以前から親交があったという藤巻さんも、いい歌だなとは思いつつ、改めて歌詞を深く考察してみることなどなかった、などと回想しながら、つらつらと良いなぁということを書いていた。

人って大人になると、
過去や未来のことを考えがちだったりする。
でも「若者」はいまを生きているのだと。

たしかにあの頃は「今日をどう過ごすか」しか考えていなかった。「今日誰とどこで何して遊ぼうか」と。そして夕方5時のチャイムでぼくらの今日という日はほぼ終わりを告げられる。明日はまた明日でまだよく分からない。

「若者のすべて」だって結末が分からない。ハッピーエンドなのかさえ分からない。そこに我々は得も言われぬ不透明さ、不安定なさま、喪失感を感じる。

大人になったぼくらは、「いまをいまのためだけに生きる」ってもう勇気がいて、どうしても精神安定剤のように過去の体験を振り返っては、気持ちを落ち着かせたり、栄光にしがみ付いたりする。明るい未来を見据えて、期待に胸を躍らせたり、不透明さに沈んだりしながら「いま」を頑張る。

◆◆◆

結婚式なり、友人のしあわせに触れる機会が有り難いことに多くなってきた。そんな中で自分はなんなんだろうと考えてみると、良くも悪くも「いま」しか考えられていなかったりするのかなと思う。考えるのが苦痛なのかもしれない。過去を生き、認め、惹かれ合い、愛すべき将来を考え、この二人は契ったのかと思うと、まず素晴らしき幸福感が訪れ、そして時間差で虚無感がやってくる。

「若いね」なんて言われることもあるが、まだまだ稚拙で「自我」の真っ只中で生きている感じだ。結末を描けない。明日はまた明日だ。でもね、不安定、不透明でもいいんじゃないか。若者でいきたいなとも思っている。

◆◆◆

ちなみにだが、『若者のすべて』の中で好きな歌詞の一節がある。


最後の花火に今年もなったな


なんでもない歌詞のようにも思えるが、
普通の語順でいけば、


今年も最後の花火になったな


なのだが、『若者のすべて』のサビ歌詞については、2小節のなかに語句として意味のかたまりが包含できるようになっている。

ここでとりわけ言いたいことは、風景描写をかねての「最後の花火」であり、「今年もなったな」で心境を描写して、メロディに相まってより切なさを助長させていく。

たった一節だけど、語順で全然違くなる。
すごく好きな歌詞の部分だ。

◆◆◆

僕らは変わるかな。
同じ空を見上げているよ。

レモンサワーを消費します。