せせらぎシアターが出来上がるまで。。。チーム木野下の目線から
キッカケ
この企画の本当にホントの最初。スタートのキッカケは2022年のとある日まで遡る。
ある日、ぼくの運営するレンタルスペース「おうめシネマ」で開催された「橋龍映画祭」。
このおうめシネマを含む一帯は大家さんの岡野さんの協力を経て、ぼくらちゃんちき堂が数年に渡ってDIYや企画のプロデュースを仕掛けてきた場所。そう、「ぼくらのひみつ基地」とよんでいる場所で。
その一角で行われることだし顔くらい出すかと思って、上映されていたショートムービー達を観に行ったことが発端だった。
大した期待もせずに観たショートムービー達は、ずいぶんと面白かった。
ぼく的にえらく。
橋龍さんという役者が率いる瑞穂映像企画部が開催していた映画祭で、いつもニコニコしている印象があった橋龍さん(橋龍さんまでが芸名)にちゃんと会ったのはこれが初めてだった(そうじゃないらしいけど、少なくてもぼくが認識したのはこの時)。
最初に会った時の印象。。。せっかちで動き回っている間にポケットからポロポロとイロンナものをこぼれ落とし、散らかしていく印象は今でも変わっていない。
彼は、売れないと言ったら失礼になるけれど、ほんとに売れていない役者。
けれど、役者や映画が大好きってことは、伝わってくる。
そんな人でもあった。
話を聞いてみると、それでも長年の活動が少しずつ実っていくのを感じていたころに始まったのが新型コロナの騒ぎだったそうで。
役者としてのすべての仕事が吹っ飛び、家族を養っていくためにその道をあきらめようとしていた彼が、一般の社会人として生きていくことにも挫折しかけていた時に企画した映画祭に、ぼくが紛れ込んだのだった。
映画は純粋に面白かった。
でも、人の才能とかを見抜く「才能」なんてないぼくには、彼に役者としての才能があるかなんてまったくわからなかった。
でもでも、コロナ過ってやつでやりたいことをやれなくなるっていう話は、当時、世間には掃いて捨てるほど転がっていた時でもあり。
店を閉めた人もいたし、自分自身もいつだってその危機感の間にいて。
自分たちの努力の結果ではない、大きな社会のうねりに翻弄される。。。その理不尽さに当時はいつだって頭に来ていた。
だからたぶん、言葉にしたんだと思う。
「映画作るのっていくらかかるの?」
って。
橋龍さんは
「ものにもよるけど、100万くらいで行けると思います!」
って言って、
「100万だったらなんとかなるかもしらん」
と思ったのを覚えている。
実は橋龍さんは後でこの100万の件でもみ夫。監督(もみ夫。までが芸名)にえらい怒られたらしい。
実際には300万はかかるって話だったから。
でもでも、最初に橋龍さんが100万といわなければ、この企画は立ち上がることさえなかった。
300万だったら、いや無理だなぁ。。。ってやめていただろうから。
チーム木野下ーお調子者のおっさん達
100万と聞いて、ぼくの頭の中に広がったのは青梅市は木野下という地域に広がる田園風景だった。
青梅唯一の開けたあの土地の風景をぼくは勝手に青梅平野とよんでいる地域で。そこにある武藤治作酒店裏のsinbowという店に夜な夜な集まる輩たちになら
「映画作んない?木野下を舞台にした」
って言ったら
「何言ってだよ。夢みたいなこと」
ではなく
「いいね~」
って呑んでる時の勢いの話だけでなく
「おもしろそうじゃね」
って実際に動き出す予感があった。
橋龍さんに彼らの映画をyoutubeに限定公開してもらい、ある夜、sinbowに集まったみんなで鑑賞会をやった。
反応は案の定だった。
「オモシロイ!」
の次に
「映画作れねぇかな?」
っていうやつが出てくるのが、この輩たちのおばかなところで。
その頃、ぼくらの中で流行っていたあっつあつの熱燗(ちゅんちゅんっていう)を酌み交わしながらそんな話で盛り上がった。
「100万で行けるらしいよ」
「マジで?やろうよ」
あっという間に動き出す、相変わらずのお調子者の集団の中にまみれながら、ぼくもワクワクしていたのを覚えている。
それから準備が始まった。
橋龍さんを呼んで、sinbowに集まる輩に面通しをしながらクラウドファンドで100万集めようって話になった。
その頃だ。
実は300万かかることがわかって、すったもんだもしたのは。
クラウドファンド自体にびびった橋龍さんが遁走しようとしたのもここだけの話だ。
それでもクラウドファンドの記事を書き、推敲を繰り返し、運営会社と喧々諤々しながら2023年4月からクラウドファンドが始まった。
始まってからえらい疲弊した。
こんなに苦労したクラウドファンドは過去なくって。
その時でぼく自身は7回目のクラウドファンドへの挑戦だったのだけれど、一番苦労したクラファンになった。
当初予定していた木野下地域で集まるであろう目標は順調にみんなで動いた結果クリアしていった。
でも、他の地域での集まりがにぶい。
移住者であるぼくは青梅市を舞台にしたって思っていたけれど、地の人からすると「木野下は木野下」「うちはうち」っていう意識がこんなにも強いのかっていうのが誤算だった。
最終的にはあちこちの寄合に参加して、この映画の意義を伝え、検討してもらうことを繰り返し、繰り返し。
なんとかクラファンが達成した時に
「よかったぁ」
って机に突っ伏した瞬間を今でも覚えている。
最低限の資金が集まったことで始まった映画の撮影中もぼくらの頭にあったのは本来「300万」かかるってもみ夫。監督に言われた数字。
sinbowで集まる面々でやれることは、本当に全部やったと思う。
sinbow、旧cafeころんなんかはすべてロケ地として無料で開放し、青梅駅前斎場の吉本さんにも協力してもらって、そこでも映画は撮られていった。
結果、本来あちこちのロケ地に払うお金はほとんどかからずに撮影を進めることができたと思う。
武藤さんとこはロケ弁もどんどん出して、この映画のためにマルシェも開催された。
やぎさんとあにきがエキストラで出演するシーンを夜中までずっと呑みながら待ってて酔いつぶれたこともあった。
マルシェには使わない映画スクリーンを建てる作業をやぎさんやてるさんの指導の下、役者さんたちが汗をかいていたのを覚えている。
そうやって撮影が無事に終わってからも、トラブルの種は尽きず。。。
本当に。
本当に、投げ出したくなったことは1度や2度じゃなかった。
詳しくは書けないけれど
「武藤さん、福岡空港でサワー缶3本握り潰し事件」
「ぼくが行商中に街中でスマホに向かって怒鳴りつける事件」
など、枚挙にいとまがない。
そのすべてのトラブルの中心に橋龍さんがいた。
この映画同様に。
いや、彼が主役を張る役の斜め上を行くポンコツプロデューサーっぷりと関わったすべての人々の苦労の上に、この作品は出来上がったのだ。そうぼくは今も確信している。
完成したせせらぎシアターを眺めながら。。。
だから、この映画を初めて観た時はみんながうるうるしていた。
場所は木野下の自治会館。
一番お世話になったみなさんに真っ先に観てもらおうと企画した会だった。
ぼくも音響機械の前に陣取りながら、移り行くシーンごとに目に涙を浮かべていた。
観るシーン、観るシーンごとに思い出がよみがえるのだ。
あの時の苦労。
あの時の口惜しさ。
あの時の怒り。
その後、観客席の一番後ろでこの映画を何度観ただろうか。
そして、観るたびに。
お客さんの反応を観るたびに。
その1つ1つの感情が昇華されていって、うるうるしながら感動している自分がいるのだ。
これは才能だと思う。
橋龍さんという役者というか人間というかが持っている。
今だからそう思える。
この映画が完成するまでの2年間。
このジェットコースターのような失望と感動を味わい尽くした今なら、そう思うことができる。
愛すべきポンコツというのは確かにいるのだ。
その一端をこの映画を通して感じてもらえたらなによりうれしい。
そして、この映画をみてから眺めるぼくらの日常風景は、とてもとてもドラマチックなものになりはしないかと期待もしちゃっているのだ。
※人物紹介
武藤さんー武藤治作酒店の3代目、裏のsinbowはお母さんが店主のお店
やぎさんー木野下田んぼを愛する会の会長。心優しき材木屋
あにきーチーム木野下最年長で、もうすぐ赤いちゃんちゃんこだけど、時に一番ガキっぽいけど、やっぱりアニキ
てるさんーいつも映画祭の時にはスクリーンを建ててくれる建築シミズの社長
文責:ちゃんちき堂のてつ
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