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現代文の読み方、解き方、教え方⑦ 「文学的文章」を「俯瞰的」に読むⅱ

 小説の読み手の胸中には、自然に風景・場面が浮かび上がる。これは致し方がない。だって、そうなるように書いているんだから。ただ、その風景・場面を見て、そこから読解・解答を作りあげるのは危険だ。それは書き手と読み手が協力して作りあげた風景・場面だからだ。その半分は、読み手の世界だ。

 だから、いま自分がどこを読んでいるか、何を読んでいるかに意識的であらねばならない。お酒を飲ませられながら、「酔うな。覚醒しろ」と言われているようなものだ(ぼくは下戸なのでよく分からないが、たぶん)。

 さて「② 変化の兆しが、どの語で示されているか」について考えてみよう。前回、書いたように、課題文の中で作中人物は必ず「変化」する。多くは精神・心理的な変化だ。それは基本的には、事前に通告される。フラグが立っている場面だね。前触れとか伏線という部分。そこを確認しておこう。

 「羅生門」でいうと、「その代りまた鴉がどこからか、たくさん集って来た」という第四段落あたりから。カラスが死人の肉をついばみにくる、その場面・風景がこのあとの物語の展開を予告する。「あーっ、兆しが書かれているなー」でいい。この意識が読みの客観性を担保するから。

 
さて、「(変化の)兆し」が出てきたら、物語は少しずつ動き始める。「雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍の先に、重たくうす暗い雲を支えている。」 ほら、今にも何かが始まりそうでしょ。情景描写が、物語の未来を予告するパターンの「兆し」だね。

 そして変化が始まる。下人は梯子を登り始める。次のシーンは、「それから、何分かの後」なのに、まだ梯子の途中にいる。階上に「濁った、黄いろい光」を見て、固まっているのだ。「変化」と同時に「兆し」も描かれている。これが延々と続く。変化と新たな兆しが相次いであらわれ、下人は正義の人になり悪人にもなる。憎悪が生まれ、得意と満足を感じる。

 読み手は、この乱高下に翻弄されて息つく間もない。客観的な視点などどこかに飛んでいき、ただ下人と老婆を見つめる「目」だけに存在になってしまう。

 「羅生門」が教科書に掲載されていて良かった。こんな小説が入試に出てきたら、大変だ。どんな難問だってできてしまう。

 話を戻そう。「③ 変化は、どのような語で起こっているか」であった。大切なのは、自分の頭の中の風景・場面から答えを導いてはいけないということ。そこに書かれている「言葉」から答えを導くこと。だから、読んでいるときには「兆しだね~」とか、「変化だね~」とか、ちょっと遠くから見ている視線をキープしておけばいい。とにかく、物語に巻き込まれて翻弄される自分を生まないようにすることだ。冷静に。あくまで冷静に読もう。

 最後に「④ 変化の後は、どのような語で示されているか」。下人は「きっとそうか」と、老婆の論を確認する。これが変化の最終地点だとすると、「では、己が引剥ぎをしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」と宣言して、「またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下り」る。これが「変化の後の姿」である。そして、「下人の行方は、誰も知らない」という有名なフレーズで終わる。 

 長々と書いてしまったが、言いたいのは、「読み手の冷静・客観的な視線をキープすること」、一つだけである。「場面設定・兆し・変化・その後」の意識は、読み手たる自分を冷静に保つための道具だと考えて欲しい。

 ……でも、(何度でも言うが)それが難しいのだよ。物語に巻き込まれてしまうと、読み手は得も言われぬ快感を得る。読みに慣れた人はその快感をよく知っている。だから時には、喜び勇んで物語の中にダイブしてしまう。

 ……具体的な方がわかりやすいと思って「羅生門」を使っての説明を試みたが、あやうくぼくも巻き込まれるところだった。こんなに読み手の混乱を招く小説はそう多くない。入試で使われる作品の多くは、もっと「兆し」も「変化」もシンプルだ。だから安心して欲しい。「羅生門」を使ったのは、間違いでした・笑。

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