兄者の話
兄者は、30をいくつか越したくらいだろうか。全体的に大きい。でも、不思議にぽっちゃりという感じではない。鍛えている感じが、少し、する。少しだけ。
兄者は、滑舌があまりよくない。普段の対面での会話は「#$#$%&~」「はい」。そんな感じだ。電話の時は少し頑張って話してくれるおかげで会話は成立するが、普段は当てずっぽうで返事をする。そのためか互いの口数は多くない。
兄者は、細かいことをあまり気にしない。ベッドの下にホコリが溜まっていたり、BGMがネットのゲーム中継(最近はそんなことがなくなって、少し寂しい)だったりしても、へっちゃらだ。
兄者は、ときどき寝坊する。朝早い時間の予約(と言っても午前9時半とか10時だが)の時には、待たされることがある。暖かいシーズンであれば問題ないが、冬の吹雪の日などは辛い。
兄者はAmazon+出前館ユーザーだ。よく配達員がやってくる。たまに美味しそうな匂いだけが残っている。
兄者は、達人である。ぼくがうつ伏せになると、まず右の肩と左の腰骨あたりに手を置いて、ぎゅっぎゅっ。左右を入れ替えて、ぎゅっぎゅっ。その数秒で当日の施術の方針が決まる(のだと思う)。
狙いを定めてマッサージが始まる。時によって肩からだったり、背中からだったりするが、攻め方は共通している。外側からゆっくり、やってくる。砂山の裾から少しずつ砂を取り払って、山を突き崩す作戦である。
まず驚くのは兄者が毎回、まさにぼくのダルさやツラさの中心である「そこ」に狙いを定めてくることだ。ぼくは黙って横になるだけである。「何でわかるの?」と思う。そして、その中心を一気に攻めてこないことに、ちょっと物足りなさを感じる。どーんと本陣を攻めて欲しいのに。外側から、少しずつ、でも確実にやってくる。まず外堀を埋める。まさにそんな感じだ。
外堀が更地になったら、少し核心に近づいてくる。指一本分くらいだと思うが、痛みやだるさの中心に近づき、その指にも少しずつ力が加わる。あとはよく覚えていない。だいたい寝てしまっている。気がつくと「ふぁい、#$#$%&~」という声と同時に、掛けていたタオルケットが何のためらいもなく一気に剥がされる。ああ無情、である。
ごくたまに「腰が痛くてぇ」などと、こちらから言うことがある。兄者は、もしかすると少しムッとしているのかもしれない(ぼくはうつ伏せなので兄者の顔は見えない)。「そんなこと言わなくても、触ればすぐわかるよ」と思っているのかもしれない。
でもそんなことおくびにも出さず、いつものように外周からジワジワと攻め込んでくる。ぼくはもう、安心しきっている。
週に一度、兄者のお世話になるようになって、あそこが痛いだの、ここがダルいだの言うことがなくなった。普段の施術での会話は、「こんにちは」から「ありがとうございました」まで、合計しても一分に満たない。なのに、すべてを理解されているような安心感がある。
ほとんど話したことはないけれど、兄者にはとても感謝している。
あなたに会えてよかった。