伝説の退学者
伝説の退学者がいた。高校には珍しい(少数だが当時はクラスに一人くらいいた)浪人生なのに、あっという間にクビになった。定期考査の日に連絡もなく欠席した彼の下宿を訪問した生活指導の教員に、酒を飲みながらタバコを吸い、麻雀をしている姿を見られたのだという。
登下校の際、彼は友人の自転車に後ろ向きに座ってエアドラムを叩いていた。授業中はずっと、ハンドグリップで握力を鍛えていた。休み時間は、教科書の山をいくつも作り、それをスティックで叩いていた。退学後は、キャバレーでドラムを叩いている。どれも都市伝説に近い噂だと思う。
ぼくらは面白がって話を膨らませ、笑った。でも本当は、みんなどこかでうらやましいと思っていた。そして彼をちょっと尊敬していた。そこには恐怖の感情も含まれていたと思う。それは、週末ごとに飛行機で東京にレッスンに通っている人の話を聞いても生まれない類いのものだった。
あいつは掴まっちゃったんだ。
何かを掴みたいと、もがいている人間はいくらもいた。東京に通う彼女も、医者になるために必死に勉強するやつも、昼休みにずっと壁打ちをしているテニス部員も、リフティングを続ける彼も、何かを掴もうとしていた。自分の意思だったのか、周囲の人に植え付けられた行動かは知らない。
何かを掴まえようとする人と、何かに掴まってしまった人。両者はとても似ているけれど、何かが決定的に違う。前者からは強烈に感じられる個性が、後者にはなかった。人が頑張っている姿と、鬼に魅入られた姿。退学者は、伝説のなかで鬼になっていた。
本を読むときも、映画を観るときも、音楽を聴いているときも、ぼくはそこに恐怖を求めているのかもしれない。そこに、鬼を探しているような気がする。確かに、恐怖を感じる舞台を何度も見たし、Liveで戦慄したこともある。一冊の本に魅入られたりもした。
件の伝説の退学者は、数年後、あるバンドのメンバーとしてテレビに出ていた。すっかり人間の顔に戻っていた。そりゃそうだ。ずっと鬼のまま生きていくことなんて、できないよね。今も時折テレビで彼を見るたびに、そんなことを思う。