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千葉県船橋市 3代目南極観測船 SHIRASE 5002
南極観測船 SHIRASE 5002 は3代目の南極観測船です。初代が宗谷、2代目がふじ。そして3代目がSHIRASE 5002です。「SHIRASE」とアルファベット表記になっているのは、退役後にスクラップになることが決まっていた「しらせ 5002」を買い取った株式会社ウェザーニューズが、その存在を広く知ってもらうために、名前を「しらせ」から「SHIRASE」に変更したためです。また「5002」というのは、この船が海上自衛隊で2番目の砕氷船であることを表しています。初代南極観測船の宗谷は海上保安庁所属の巡視船、2代目南極観測船のふじが海上自衛隊のはじめての砕氷船で「ふじ 5001」です。ちなみに現在は4代目の「しらせ 5003」が稼働中。2024年11月20日に横須賀基地を出港していて、2025年1月には南極に到着するそうです。
「しらせ」という名前は、明治時代に南極探検をおこなった、白瀬矗(しらせのぶ)に由来します。1861年6月13日、秋田県にかほ市に生まれた白瀬は幼少の頃から探検家を志し、陸軍に入隊します。はじめは北極探検を目指していましたが、1909年にアメリカのピアリーが北極点の踏破に成功したことにより、目標を北極探検から南極探検へと変更しました。1910年11月29日に「開南丸」に乗って芝浦を出航。ニュージーランドのウェリントンから南極を目指しましたが、氷塊に前進を阻まれオーストラリアに引き返します。南極が夏となった1911年11月19日にシドニーを出港。1912年1月16日に南極大陸に到着します。1月20日に南極点へ向けて出発しましたが、1月28日、走行距離282キロ、南緯80度05分、西経156度37分の地点で断念。視野に入る全地域を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名しました。1912年6月20日、1年7ヶ月近くにわたる長旅を終えて芝浦に到着し南極探検は終了しました。74歳で死去した白瀬の辞世の歌。
「我れ無くも 必らず捜せ 南極の 地中の宝 世にいだすまで」
船内には南極の石などの展示物がありましたが、今は南極条約により、自然のままにしておかなければならない、という決まりになっていて、石を蹴飛ばしてもいけないそうです。それでも調査は行われていて、直近では、ボーリング調査で100万年前の氷を取り出してその成分を解析しようという計画があるとのこと。まさに「南極の 地中の宝 世にいだすまで」です。どんな結果がでるか楽しみ!あったかいところで見守ります!
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