東京都千代田区 明治大学博物館と大学史展示室
明治大学駿河台キャンパスにある明治大学博物館へ行ってきました。
展示室は「商品」「刑事」「考古」という3つの部門に分かれています。めずらしいのが「刑事」部門。なんで「刑事」??っ感じですね。以下パネルから抜粋です。
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明治大学は1929年に法学研究において実物実見を重視する立場から、日本の江戸時代の拷問や刑罰の道具、関連古文書、海外の刑罰の道具などを収集する刑事博物館を設立した。同時期に法学部では、教育刑主義を唱えて刑事政策の講座を設けている。教育刑主義とは、刑罰の目的は、応報ではなく、犯罪者を改善し教育する事にあるとする立場である。(中略)
常設展では、現在・未来の法と刑罰を考えるために、過去の法と刑罰を理解しようとした刑事博物館設立時の方向性を引き継ぎ、法令や拷問の道具、刑罰の道具などを展示している。日常生活の中で法と刑罰の歴史に触れる機会は少ないだろう。本展示がその機会を提供し、法と刑罰を考えるきっかけとなる事を願ってやまない。
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たしかに、法令順守、コンプライアンス、という言葉は毎日見聞きしますが、刑罰について触れる機会はほとんどないです。教育刑主義という言葉も初めて聞きました。”刑罰の目的は、応報ではなく”というところ、考え方として大事ですね。
展示されているのは、刑罰が応報や見せしめだった時代のものです。グロいです。。。ひとつひとつの拷問を見ると、ひどいなあ、嫌だなあって思います。でも、応報・見せしめによって社会秩序が保たれていた側面もあるわけで、法と刑罰のつながりの難しさを感じます。
以下、海外の例として展示されていたものです。(注:差別的な表現を含みます。ご承知おきの上ご覧ください。)
◇おことわり(パネルより)
資料には、差別的あるいは不適切な表現が用いられていることがあります。これらの表現は、今日から見れば明らかに不当であり、人道上決して許されるべきではありません。しかし差別解消、人権擁護の立場から、ありのまま展示しています。差別的あるいは不適切な表現の不当性を正しく認識していただき、人権の尊重に一層のご理解を賜りますよう願ってやみません。
◇恥辱刑
道徳的規範を逸脱した者に、奇妙な恰好をさせ、大勢の人の目にさらし、辱めを与える刑。
◇鉄の処女
展示品は刑事博物館が、1932年に国内で作らせた複製品。同種の資料がローテンブルクやサンジミニャーノの中世犯罪博物館などにあり、これらを参考に作成した様である。ローテンブルクの「鉄の処女」の内部の針は、後年に付けられたもので、元々は針を備えた構造ではなかった。処刑や拷問の道具と考えられていた時期もあるが、現在では恥辱刑の道具だったのではないかを考えられている。
人権はどんなときでも尊重されるべきだと思うし、法を破った人にはやり直す機会があってほしいと思います。博物館のお話はここまで。
さて、同じ建物の地下1階に「大学史展示室」というのがあり、そこで気になる展示を見つけました。(↓ これ)
なんだ、このヘルメットみたいなのは???
まずはパネルからの抜粋です。
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◇孫基禎(ソンキジョン 1912-2002)
1912年8月、平安北道新義州生まれの韓国のマラソン選手。1936年のベルリンオリンピックに「日本代表」として出場し優勝しました。そのもようを報道した『東亜日報』は、孫氏のユニフォームの日の丸を塗りつぶした写真を掲載し、朝鮮総督府から発行禁止処分を受けました。
孫氏は、翌年明治大学に入学し、1940年に卒業しました。日本の敗戦後は韓国で陸上競技連盟会長等を歴任し、1988年のソウルオリンピックでは聖火ランナーを務めました。
1995年、明治大学は特別功労賞を贈呈しています。
◇ギリシャ兜(韓国国立中央博物館蔵 宝物第904号)
この兜はアテネーベルリンの聖火ランナーの発足に伴って、ギリシャの新聞社から孫基禎氏に贈られたものです。
孫氏は、ベルリンオリンピック(1936年)に「日本代表」として出場しました。孫氏はその体験を通して、スポーツと平和の重要性を訴え続けました。
兜のオリジナルはきわめて貴重な文化財として韓国国立中央博物館に展示されています。本複製は、孫氏ご子息の孫正寅氏のご好意により制作いたしました。
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帰宅後、私なりにいろいろ調べたので以下補足します。
1910年から日本は韓国を植民地化していたため、朝鮮人である孫基禎さんは「日本代表」としてベルリンオリンピックに出場し優勝しました(3位になった南昇龍さんも同じく朝鮮の方で「日本代表」として出場していました)。そして『東亜日報』は朝鮮の民族系新聞です。ユニフォームの日の丸を塗りつぶしたことによる発行禁止処分は「日章旗抹消事件」と言われ、日本がおこなった朝鮮への言論弾圧として重要な事件です。
またギリシャ兜は、古代ギリシャにおいてオリンピアの祭典競技での勝利を祈り、神への感謝の意味を込めて制作されていたことに由来します。アテネから開催国へ向かう聖火リレーがベルリンオリンピックで初めて行われることになったことを記念して、優勝者への副賞とされました。しかし、孫基禎さんが朝鮮で英雄視され民族運動がおこることを恐れた日本は、ギリシャ兜を受け取りませんでした。ベルリンのシャルロテンブルク博物館に保管されていたギリシャ兜は、1986年にベルリンオリンピック50周年を記念して孫基禎さんへ返還されました。
なお当時のドイツでは、1935年に制定されたニュルンベルク法によりユダヤ人への迫害が進んでいましたが、ナチス政権はオリンピック開催期間中この事実を隠し、各国に平和なドイツを印象づけました。聖火リレーは、ドイツ国民をナチ党へ惹きつけるためのプロパガンダとして利用されました。
オリンピックにおける民族差別に関連することでいうと、1986年のメキシコシティオリンピックで黒人差別に対する抗議をした「ブラックパワー・サリュート」は知っていましたが、「日章旗抹消事件」についてはまったく知りませんでした。自分の国に関することのほうが知らない。知らされない。。こわいですね。。よい勉強になりました。(おわり)