東京都多摩市 KDDI MUSEUM
KDDIが運営している宿泊研修施設であるLINK FORESTの2階にあります。とてもきれいな施設で、今回は1時間半のガイドツアーに参加して、国際通信の歴史を学んできました。
◇黒船来航
1854年ペリー2回目の来航時に「エンボッシング・モールス電信機」が献上されました。実演もおこなわれ大盛況だったとのことです。日本人がはじめて電気による通信を知った出来事です。
◇国際通信のはじまり
1871年(明治3年)6月、シベリア横断の電信線敷設権を得ていたデンマークの大北電信会社(Great Northern Telegraph Co.)が明治政府に対して電信線を日本まで延長したい旨の申し入れがあり「伝信機条約書」(対デンマーク国電信約定)が締結されました。その結果、長崎と上海、および長崎とウラジオストク間にそれぞれ海底ケーブルが敷設され、1871年(明治4年)、日本とヨーロッパ・アジアが電信で結ばれました。一方世界は1871年が海底通信ケーブル施設の最初のピーク。この年に2万Km以上の海底通信ケーブルが敷設され、総延長は地球一周分にあたる4万Kmを越えました。
この時代すでに現在の光ケーブルの前身ができていたなんて驚きです。そして当時は弱い電流しか流せなかったので、ヨーロッパと通信するときは中継所でいったんモールス信号を受け取って次の中継所に送るという作業をしていたとのこと。中継点を介して目的地に到達するという意味で今のインターネットの前身とも言えそうです。ちなみに1871年、岩倉具視使節団が不平等条約改定を目指して第一の訪問国であるアメリカのサンフランシスコに到着した際、長崎県令(知事)あてに無事到着した旨の電報を送っています。中継点を介しての通信のためすでに当時から暗号を使っていたそうです。不平等条約改定は失敗に終わるわけですが、通信発達のレベルの違いからも当時の日本が欧米に勝てないのも当然だなと思ってしまいます。
1888年(明治21年)、ドイツの物理学者ヘルツが電波の存在とそれが空間を伝わることを発見。その後1894年(明治27年)から実験をはじめたイタリアのマルコーニがアンテナや検波器などの改良し無線通信の可能性を示すと、各国はケーブルを敷設しなくても通信ができる無線通信の実用化に取り組みました。その後、インターネットが普及する2000年代までの間、電波(短波)による国際通信主流の時代が続きます。
◇通信と戦争
1941年12月8日朝6時、「ハロー、ホノルル、ハロー、ホノルル」という、いつもの日本からのオペレーターの呼びかけに応答はありませんでした。回線をつなぐオペレーター同士は、国は違っても友人という気持ちが強く、非常に寂しい思いをしたといいます。
1945年8月10日、日本政府は、国体護持を条件にポツダム宣言受諾を連合国側に通知。同12日に連合国側から回答があり、検討の末、同14日に受諾を決定し連合国側に通知しました。当時、対外無線電信回線は中立国スイスのジュネーブ向けのみ。外務省は駐スイス公使と駐スウェーデン公使あてに打電し、受諾を伝えました。終戦までの数日間、東京中央電信局外信課の職員は国家存亡の舞台裏で歴史的な一役を担いました。
1945年8月15日、終戦を伝える玉音放送は足利送信所(神奈川県山北町)から世界に向けて発信されました。短波無線にのせられた玉音放送は、中国大陸や南方諸地域の軍や在留邦人、南米などの日本人移民に終戦を伝えました。
◇衛星通信
1960年代の高度経済成長期、情報通信の需要が高まるなか、日本は米国が提唱する衛星通信ネットワーク構想に参画します。初の日米間テレビ宇宙中継実験はKDD、電機メーカー、放送局の技術者たちの大きな挑戦でしたが、初めて米国から衛星で中継された映像はケネディー暗殺という衝撃的な内容でした。
そしてKDDIは現在も衛星通信を発展させているとのこと。以下HP抜粋。
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KDDIは2024年10月23日、Starlink衛星とauスマートフォンの直接通信サービスの実証実験に成功しました。沖縄県久米島の実験環境で実施した実証では、圏外状況のauスマートフォンが地球低軌道に位置するStarlink衛星と直接通信し、SMS送受信ができることを確認しました。
KDDIとスペースXは、Starlinkとau通信網を活用することで、auスマートフォンが衛星と直接つながり、空が見える状況であれば圏外エリアでも通信ができるサービスを提供開始予定です。
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イーロン・マスクさんの衛星を使わせてもらうというのが寂しい。日本製の衛星が稼働してほしい。
◇光海底ケーブル通信
現在の日本の国際通信の99%は光海底ケーブル経由で行われており、KDDIは2隻のケーブルシップで、光海底ケーブルの敷設や保守をおこなっています。太平洋に「Yokohama Zone」という海域があり、そこに敷設されたケーブルは、KDDIが敷設したものでなくても、中国や韓国と分担して保守をおこなっているとのことです。東日本大震災のときは11か所に損傷があり、修復に5か月かかったとのこと。極端なことをいうと光海底ケーブルが壊れたらインターネットが使えなくなる。そう考えるととても大切な仕事です。そしてインタネットが国を越えたネットワークであるからその保守も国を越えたものになる。国際通信を通じて世界が自由につながり続ければいいなと思いました。
最後にスマホスタンドのお土産もいただきました。KDDIさん、ありがとうございました!