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千葉県山武郡芝山町 空と大地の歴史館

成田空港問題を伝承するために2011年6月に開館した歴史館です。成田空港第2ターミナルからバスで10分、航空科学博物館の敷地内にあります。空港建設側と反対側の双方の観点で1966年からはじまる成田空港問題の長い歴史がパネルと資料で語られています。
時代の変化
1960年代といえば、所得倍増計画の実施や東京オリンピックの開催があり、1968年にはGDPが世界第2位となる高度経済成長の時代でした。航空需要の増加で羽田空港が過密状態となり、国は新しい空港を作る必要に迫られていました。一方でまだ1ドルは360円。人々は新三種の神器とも呼ばれたカラーテレビ、自動車、クーラーを買うことがステータスで海外旅行など頭にない時代でした。国は土地収用法による代執行で建設予定地の一部住民に対して強制的な立ち退きを行います。これ以前に建設予定地内の約90%の方は合意によりすでに立ち退きしていて、残った一部の住民に対して行われたものでした。時代が大きく変化するときは、場所によって変化スピードが異なるため、なめらかには変化できず歪みながら変化せざるを得ないのだと思います。元公団の方はやり方はよくなかったとおっしゃていました。
◇さまざまな関係者
様々な方々が空港問題にかかわっていったことが問題が長期化する大きな要因でした(国、空港公団、空港建設用地内に住んでいた方、空港建設用地に隣接する場所に住んでいた方、東京など他の地域から空港反対運動に参加した方)。時間の経過とともに、空港建設反対というスローガンは変わらないものの、関係者それぞれによってその意味合いは少しずつ異なるものになります。多くの関係者が関わることで利害関係が複雑になり問題が長期化する一例です。
◇地域共生
成田空港開港後も二期工事、騒音など成田空港問題は続きましたが、1991年に膠着状態の打開のため、空港側と反対派(熱田派)の両者の間で成田空港問題シンポジウムが開かれます。シンポジウムでは空港建設計画が始まったときからの歴史的経緯について3年間にわたり討論がおこなわれました。その後、国・千葉県・空港公団・反対同盟・周辺自治体・住民団体が参加した「円卓会議」がおこなれ、相互に対等な立場で地域と空港の共生の道を探りました。

人口減少が進むこれからの時代。その時代の変化にあった新しい国づくりのやり方があるはず。。。


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