東京都江東区 都立第五福竜丸展示館
第五福竜丸は1954年3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けました。爆発によって放射性物質が付着した海底のサンゴがキノコ雲とともに上空に舞い上がり、死の灰となって甲板でマグロの延縄漁をおこなっていた船員23人に降り注ぎました。船員たちは何が降ってきたのかわからず、ちくちくするサンゴの灰を振り払いながら仕事をつづけたそうです。その日の夜から頭痛や吐き気などの症状があらわれ、急いで母校の焼津港に向かいますが、水爆が原因であることが分かったのは寄港する直前でした。懸命の治療にもかかわらず半年後にお亡くなりになった方もいらっしゃる悲しい事故です。
この事故が起こったのはどんな時代だったのか。主な出来事を記載します。
1950年06月25日 朝鮮戦争勃発(朝鮮特需がはじまる)
1952年04月28日 サンフランシスコ講和条約発効
1953年07月27日 朝鮮戦争休戦
1954年03月01日 第五福竜丸被ばく
1954年11月 神武景気がはじまる(戦後最大の景気拡大期)
1956年07月 経済白書の序文に「もはや戦後ではない」と記載
日本は敗戦から復活していく真っ只中にあり、一方で世界は東西冷戦の中で核による軍拡をおこなっていたということでしょう。歴史の大きな流れの中で何も知らない方々が被ばくするという、、なんとも悲しい。。。。
また、展示館には第五福竜丸と同様に死の灰をあびてしまったマーシャル諸島の方々についても展示があります。以下展示より抜粋。
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米国による核実験はマーシャル諸島の環境、人びとの暮らしや文化、心と身体を蝕んできました。(中略)いま、マーシャル諸島は気候変動による海面上昇で水没の危機に瀕しています。マーシャル諸島は核兵器と気候変動という、地球と生命の将来を左右する2つの問題が交差する場所になっているのです。
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廃船後に夢の島(当時はゴミの島と呼ばれていた)に放置されていた第五福竜丸。これを保存しようという声が高まり、都が保存することになって今があります。貴重な資料を保存していただき感謝です。