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広島県福山市 ホロコースト記念館

大久野島に別れを告げて、青春18きっぷの旅も残り時間わずか。帰路は忠海から神戸へ行き、神戸から羽田まで飛行機の予定なのですが、直行するにはちょっと早い。そんなときはGoogleマップで「博物館」を検索!。途中駅でいい博物館がないか探していると福山市に「ホロコースト記念館」がありました。なぜ福山でホロコースト?、、、ということで途中下車決定です。忠海駅から三原駅までを呉線、三原駅から福山駅までを山陽本線で進みます。ちなみに海田市駅から三原駅までの87.0kmを走る呉線の車窓は本当にきれい!瀬戸内海の絶景を満喫できます!(写真下へ続く)

福山駅からバスでJR横尾駅前まで行き、そこから徒歩10分ほどでホロコースト記念館に到着です。(写真下へ続く)

◇記念館ができた経緯
1971年、現理事長の大塚信さんが所属していたしののめ合唱団がイスラエルを訪問した際、アンネ・フランクさんの父であるオットー・フランクさんに出会ったことがきっかけです。それ以来交流が続き、1980年に亡くなったオットーさんの「平和をつくりだすために何かをする人になってください」という願いにこたえて1995年に開設されました。英語表記は「HOLOCAUST EDUCATION CENTER」となっていて、特に子供たちがホロコーストのことを知り、いかに今を生きるかについて学ぶ場所となっています。
◇ホロコーストとは?
「ホロコースト」とは、ギリシャ語で「火で焼かれるいけにえ」を意味しますが、現在ではナチス・ドイツ(1933〜1945年)によるユダヤ人を中心とした大量虐殺をあらわす言葉として知られています。600万人もの命が奪われ、その中には150万人の子どもたちがいました。
◇展示されているもの
記念館開設に際して大塚さんが収集したホロコーストに関する遺品が多く展示されています。ユダヤ人の方がつけさせられた「ダビデの星」と呼ばれる黄色いマークや収容所で着させられていた服、当時発売された「ユダヤ人出ていけ」という子供用のボードゲームもありました。各展示の解説文には「ユダヤ人の最終解決」「絶滅収容所」「ガス室」といったおそろしい言葉が多くでてきます。
また、アンネの部屋が再現されていて、部屋に入ることができます。てっきり小さなひとつの部屋に家族全員が隠れていたのかと思っていましたが、姉妹の部屋があり、そこに置かれた机で日記を書いていたということを知りました。日記帳の複製も展示されていて、表紙が赤っぽいギンガムチェックの柄でとてもおしゃれなのが印象的です。アンネは強制収容所で亡くなり、家族の中では父のオットーさんだけが生還しました。
1945年1月から5月にかけて収容所が解放された際に撮られた写真には、ユダヤ人の方々が笑顔で写っています。

日本にいながらホロコーストに関する遺品を見て学べるなんてほんとに貴重な記念館です。オランダに行くよりずっとお手軽!!。じっくり見てしまったので神戸まで鈍行では間に合わず、岡山から新神戸まで新幹線を利用して、無事、神戸空港にたどり着くことができました。(おわり)




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