私とパソコン 2
前回は1980年代の終わりにNECのPC-9801を手に入れ本格的に使いだすところまででした。教員でしたので保護者向きのものも含め全ての文書を「一太郎」というワープロソフトで作成しました。ジャストシステムという会社で現在も一太郎シリーズは発売されています。当時はワープロソフトと言えば「一太郎」でした。同じ会社の「花子」というのも使っていました。そして、学級会計や成績処理はエクセルではなく「1-2-3」(ワンツースリー)という表計算ソフトを使っていました。これをほとんどの人が会社名の「ロータス」と呼んでいましたが、間違いです。このころの記憶装置は5インチのフロッピーディスクでした。15cmぐらいの正方形のケースの中に円形の磁気ディスクが入っていました。1枚の容量は、1.25MB(メガバイト)でした。
今よく使う1TB(テラバイト)の1000分の1が1GB(ギガバイト)で、そのまた1000分の1が1MB(メガバイト)です。スマホの写真が1枚で数MBですので、写真が1枚も入らない容量です。そのころはほとんど文字だけでしたのでそれで十分でした。
使いだしたころ、ほとんどの年上の教員は反発しました。「やっぱり手書きの方が心がこもってる感じがするね。」という教員がいましたので、私は「先生は名作文学は作家の手書きで読んだんですか。私はすべて活字で読みましたよ。新聞も活字ですが時には感動し、涙するときもあります。」というと、それ以降黙られました。ほとんどの教員はその後パソコンではなく、今はほぼ絶滅したワープロ専用機を使うようになりました。