21. 差別 中学二年 B夫
日本では、今、差別されている民族はアイヌだろう。アメリカでは、黒人差別だ。どの国でも勢力の強い人間が、貧乏な人間を差別している。差別している人間は、いったい何を考えているのか?色が黒くても人間に変わりはないだろう。本でも読んだように、差別は民族がちがっているとき起こる。それはすごく大きいもので、たやすくなおせないものだという。
本では、民族同志が”相手に負けたくない、相手よりすぐれていたい”そういう心が一人ひとりにあるためだと書いてある。
しかし、どの民族も人間だろう。幸せを考え、精いっぱい生きているのだ。その点では、どの人間も変わりはない。ところが今日の日本では、金や、地位や力で、他人を自分の思いのままにしてしまう人が多いようだ。だから社員が社長にごまをする、なんてことがおこる。たしかに金は人間にはなくてはならぬものだ。しかし、自分の心をいつわってはいけない。自分で正しいと思うことは、相手と話し合って、よく両方とも理解することだ。だけど世の中では、そいう大事なことが無視されている。世の中のいろいろなしくみを知る中でひたすらなやみ、苦しみながら生活するとき、はじめて人間は人間らしく歩むのだ。だからこそ平等に話し合い、困ったときは助け合ったりするものではないのか?しかし、今の世の中ではその事が忘れられている。
そのように人間自身を忘れさせた責任は社会にある。それには、差別も含まれている。アイヌは和人にバカにされる。
中略
弱い物はいつも社会から見さげられているのだ。
ぼくは小さいときに、和人にバカにされた。
それは小学校五年生のときである。
ぼくの二つ上の人が、運動会のとき、
「おまえ、ずい分毛深いな。」
といった。ばくは頭にきてその人をぶんなぐったが逆に泣かされた。ほんとうにくやしかった。
”毛深いからってなんだ。ちくしょう金持ちづらしやがって。おれのとうさんやかあさんはけんめいに働いて、ぼくを育ててくれているんだ。おまえがオレをバカにする権利はどこにあるんだ”と心の中でつぶやき、泣きながら神社の階段を走った。そして、そこですわって少し考えた。
”今、おれがいかないと運動会にひびくな”
と思ったので、泣きながらもどった。
ぼくを泣かした人は、
「早く、次の準備をすれ。」
といったが、これもほんとうに、ぼくを思ってくれたものじゃない。先生におこられるのがいやだからだった。
六年のときに、ぼくの前をそわそわ歩いて、ぼくを写真にとった人がいた。その人は、何か本の取材にきた人であった。
ことわりもなくぼくを写して、それを町の人たちの見せ物にする。おれを何だと思っているのか‥‥、とくやしくて追いかけてやりたいほどだった。
父は、
「アイヌを人間だと思っていないんだ、そいつらは。」
といった。
母は、
「いいんでないか、アイヌだもの。」
と、するどい声で、その反面くやしそうな声でいった。
ぼくは、くやしさのあまり、ひとり川の支流へ行って水の流れを見ながら
じっとしていた。しばらくして涙はとまった。
そんなことがあってから、ぼくは人前で腕を出すのが嫌いになった。毛深いといわれたらくやしいからだ。しかし、そのはずかしさも、ソフトボールをしているうちにいつのまにか忘れるようになってしまった。
このような経験は、アイヌであればだれもがしているであろう。差別はたしかにつらいものだ。
今年のはじめ、兄がいったことばは、ぼくの心をゆさぶった。
「おれは卒業してはじめて、中学生のころの勉強をまじめにしていたらよかったなと思った。」
と、だれもいないとき話してくれた。
「おれは小さいときから勉強はしなかった。嫌いだったからな。しかし、おれの働いてる所で、数学をよく使うことになった。はじめて行ったとき、ずい分と苦労した。かんたんな数学も知らないでは、物をつくるときすごく困るものだ。いいか、おまえはまじめだから、これからもうんと勉強すれよ。おれのように苦しまないようにな。」
といった。
仕事するには、技術と学問がとても大切だということを教えられた。
あの小さいときからあばれ者だった兄が、よくここまで成長したものだと思うと、ますます兄が好きになった。そして、人間は、人とつき合って生きなければいけないとも言っていた。無口で、人とあまり話したことのない兄に、ぼくは心から教えられた。そして考えた。
”ぼくも、いつまでも無口ではいけない。まじめに勉強しなければならない”
ということを。そしてまた、人間は何とすばらしいものか。人が何といおうと。ぼくは、アイヌは人間だということを深く感じる。
差別なんか、そんなこまっちょろい問題なんかどうしたというんだ。差別をする人の方がおかしいんだと思う。
差別は、金持ち、貧乏の間でおこることも多い。しかし、金や地位や力で、人間というものの値うちが決まるものではないと考える。
ぼくが読んだ”魔人の海”は、ぼくの考えをより深く身につかせたと思う。アイヌの考えがほんとうにここにあると思う。はじめに金や米で和人のいうとおりにされていたが、最後に、人間はどう生きなければならないか、ということだ。そして、国の力にとうとう勝てなくてセツハヤ(物語の主人公)は、アイヌのために死んだ。少し悲しい。アイヌの真意が通じなかったことに‥‥。しかし、ぼくはこの話で、どの人間でも、人間はみな平等でなければならないと、つくづく感じてきた。
***3 子どもたちの叫び
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