26. 母の姿から生き方を考えて    中学二年 G子

 このごろの新聞の社会面を見ると、必ずといっていいくらい家庭のいざこざが悲劇を起こし、親がいたいけなわが子を殺したとか、子が親をなぶり殺したなどと、暗い記事が目にとまってしかたがありません。

 なぜこのような問題が絶えまなくおきているのでしょうか。わたしは自分の母を見つめながら、この事を自分なりに考えてみました。

 わたしの母は身体が比較的弱かったため、小学校へ行くことが精いっぱいだったと話してくれます。だから小学校しか出ていませんが、わたしは母を考えてみて、この世で一番立派な生き方をしていると尊敬しています。

 母は生まれてまもなく、いろりに落ちて顔半分にやけどを負い、そのあとが今でも残っていて、みにくく焼けただれてつっぱったような状態になっています。小学校時代、学校に行っても、
「アイヌの子、アイヌの子。」
といわれてバカにされ、その上にみにくいかたわ者で、休み時間になると、なおみんなにバカにされ、
「アカンベー、アカンベー。」
とつっつかれたり、けられたりしたそうです。そいうい状態ですから、母の本名であるSという名前は、一度も呼ばれずに卒業してしまったともいっています。

 小さいころから、このような事の連続でしたので、何度死のうと考えたかわからないとも話します。

 でも母はそのたびに、自分を生み、育ててくれたおばあさんのことを思い出したそうです。
「自分を今まで育てるために、どれほどの苦労をしてきたのか、それなのにその思いをわきまえかねて、自分が今こんなことで死んでしまったら、おばあちゃんがどんなに悲しむだろう。食べる物も満足に食べず、子どもを育てたおばあちゃん。悲しいから、つらいからといって、今ここで負けることは申しわけない。じっと我慢しなくてはならないのだ。そうくり返しているうちに、自分を笑い、バカにする人たちが哀れにみえてきた。」
と、母は話してくれました。

 わたしは、このような母を偉いと思います。小学校の子どもなら、学校であったことを家に帰って「こうされた、ああされた」と、きっと一部始終を報告すると考えるでしょう。しかし、それすらも我慢しなければならない母のまねは、わたしにはできそうもありません。

 わたしも小さいころは、
「おまえのかあさんこうだべー。」
と、アカンベーをされて、それだけでも悲しくて泣いたことが何度もあります。わたしがからかわれてくやしいのですから、母だったらどんなに‥‥。そう思うと、わたし自身、母の悪口をいわれても、あるいは「アイヌ、アイヌ」といわれても、母にいうことはできませんでした。
”いつもわたしたち兄妹の心には、どんなにみにくい顔のかあさんであっても、わたしたちのかあさんは世界一だ。どんなにみんなのかあさんが美しい人でも、家のかあさんより偉い人は他にいないんだ”
と、叫んでいたのです。

 そして、大きくなったら、
”母の顔を、ずっときれいにしてやるんだ”
と誓っております。

 考えてみますと、母が若く、美人に生まれ金持ちに育ったならば、今のわたしたち兄妹のような生き方はどこにもないでしょう。貧乏して、かたわ者の生活の中から、人間が正しく生きなければならぬものは何であるかをつかみ得た、と思うのです。

 とかく世の中を考えてみますと、金もちや権力家になることが生き方の最もよい方法だと考えられているようですが、わたしは、ほんとうだろうかという疑問をもたないわけにはいきません。自分だけという個人の利益を追求する前に、相手の立場を考え、その人を理解しながら生きる姿こそたいせつだと思うのです。

 あらためて、わたしはここできっぱりといいます。

 わたしの母は、アイヌです。そして、わたしもアイヌの血を引いています。しかし、世の中で一番誇っていい母をもっています。それは、小さいときから貧乏にうち勝ち、人の、ののしりやいやがらせにも負けずに、どん底の中で強く生きてきた姿なのです。

 わたしはそういう母を心の故郷にして、きょうもあすも、自分にプライドをもちながら堂々とわたしの道を歩みたいと思います。それがわたしにとって、悔いのない人生だと思うのです。


***3  子どもたちの叫び

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