16. アイヌって悪いこと? 女性 二十六歳
わたしの住むN村は、現在、戸数四十六戸、人口、百九十人余りの小さな部落です。
そのうち、和人は五十人ほどで、後は、わたしも含めて全部アイヌの人ばかりです。以前はアイヌの人が、もっと多く住んでおりました。
そのせいか「アッイヌがきた!」といったような、極端にさげすみを帯びたことばを浴びることはありませんでした。
それよりも、家が貧しかったために、いつも貧乏人の子としての差別感を持たされていたように思います。
貧しかったから、記念写真を買うことも、参考書を買うこともできませんでしたし、友だちとマンガの本を交換して読むこともできませんでした。
もちろん、着る物も粗末なもので、他の人からのいただき物であったり、姉のおさがりで、ひじのところにつぎの当たった物であったり、というなりをしていました。
ですから、学芸会の遊戯にも、あまり出してもらえませんでした。でも、わたしは、そういうことにはわりあいむとんちゃくな方で、ちっとも気にかけませんでした。
たしか、小学生の三年生のときです。
たまたま学芸会にやる劇の役に選ばれ、わたしは、はりきっていました。すると、裕福な家庭の級友にこづかれ、
「やい、片親、チビ、コタン、おまえ学芸会に着て出る服あるのか。」
と意地悪をいわれ、わたしも生意気なことばで返したことがありました。
わたしは、よく、事あるごとに、このような意地悪をいわれたもので、そんなとき、家が貧しいことや、自分のからだが小さいこと、コタンとバカにされるところに住んでいることなど、それらがとっても悪いことのように思われ、さびしく感じたものでした。
いま思えば、チビであることも、アイヌであることも、ちっとも悪いことではないし、家が貧しいにしても、それなりの理由があるのだから、少しも卑下することはなかったのです。
おかしなもので、人間は、このようにバカにされたりすると、それが悪くなくとも悪いことのように思え、また、良くないことでもほめられると、良いように‥‥。
これは、母から聞いた話で、自分ではよく覚えていないのてすが‥‥。
あるとき、わたしは和人の子といい争いをして、最後に「アイヌ!」と、ののしられました。するとわたしは反対に、
「なによ、あんたこそアイヌでしょう。このアイヌ、アイヌ。」
とやり返したため、その子は、自分の方がアイヌと思い込み、悲しい顔をしていた、ということです。
そのころは、わたしにも、和人の子にも、アイヌとはなにか、ということがわからず、ただ子ども心に、
''アイヌとは悪いこと''
という意識を、しぜんにもたされていたのかも知れません。
このように、アイヌとはよくないこと、という考え方や、貧乏人や親のない子は、なにかいやらしい、という社会の風潮が、しぜんに人の心に住み込み、差別を生み出しているのではないでしょうか。
さげすまれなければならないのは、アイヌでも貧乏でもなく、人をはずかしめ、見下げようとする人の心なのです。
わたしたちアイヌの祖先は、むかし北海道で独自なことばと、生活様式をもって暮らしていました。しかし今は、日本人として和人と同じ役割を果たし、和人となんら変わりない生活をしております。それにもかかわらず、いまもなお「旧土人」と、まやかしたことばで呼ばれ、就職、結婚、その他社会生活の中で、いろいろな形で差別されつづけているのです。
日本では、封建制のひかれていた時代に、士農工商という身分制度があったということですが、人間というものは、このような段階をつけて、絶えず優越感をもちたいものかも知れません。
でも、その下で悩み苦しむ者は必ずいるのです。同じ人間でありながら、このような矛盾があってもよいものでしょうか。
人間は、すべて平等な精神のもとで生活する権利があるのです。貧しくても、皮ふの色がちがっていても、体毛が濃くても、また、どんな職業についていても、それが、その人の人格に何ら影響を及ぼすものではないのです。たいせつなのは、その人が、どんなこころをもっているか、ということではないでしょうか。
***2 若者たちの苦悩
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