07. アイヌの心に生きる       女性 七十歳

 この間な、観光の仕事をしている人がな、わざわざ、何回も、わしのとこへきてな「アメリカさ行かんか」って、しつっこくいうんだよ。
''わしみたいなもの、アメリカさ行って、なにすんだべ''
と考えたよ。

 話によるとな、アメリカでも、白老みたいなことしてな(白老はアイヌ観光地)、熊とアイヌを見せるんだって。

 どこの国の人間も、金もうけを考えるとき、同じことを考えるんだな、と思っておかしかった‥‥。

 いや、わしは行かねえよ。この年になってアメリカなんて、とってもたいぎだもの。それに、白老でも、今年はいつもより早くきてくれっていうしな。実は、あしたから行くことにしたんだよ。

 わしな、もうポロト(観光地)に行って、四年目になるけど、いつも考えることは、もう少し、アイヌのこと、ほんものやればいいと思う。踊りにしたってなんにしたって、見せるだけのもんだものな。

 わしはアイヌチセ(アイヌの家)で生まれ、アイヌイタク(アイヌ語を使っての生活)しながら育ったんで、今の人たちが、アイヌをどんなふうに思ってるか知らなかったけど、ポロトに行ってみると、わしらアイヌを、今の世の中には、めずらしい人間だなと思って見ているようだな。

 そりゃ、わしは、シヌイエ(口もとの入れ墨)もしているし、しゃべるにしても、なまりがあるしさ‥‥。だから、わしはポロトに行っても、だまってチセのイヌンベ(ろばた)のそばさすわっているんだけどな。そこへエカシ(長老)がお客さんを連れてきて、「むかしのアイヌは、ああでこうで」としゃべって「入れ墨しているこのばあちゃんを見ればわかるように、これが代表的な、むかしのピリカメノコ(美人)だ」ってな。するとみんなは、''へぇー''っていうような顔をして、じろじろ頭の先から足もとまで見る‥‥。

 わしは、はじめ、はずかしいやら腹たつやらで‥‥、びっくりしたよ。

 だってな、わしは、白老に行って見せ物になるって思ってもいなかったし、それよりも、イテセ(織り物)したりして見てもらって、アイヌってのは、むかし、ずい分、暮らしをよくしようと工夫したり考えたりしていたんだな、とか、カムイ(神)をだいじにしていたんだな、って、いろいろわかってもらうようなことをするんでないか、と思ってたんだ。でもな、これ、仕方ないことかも知れんな‥‥。

 わしは今、七十だけど、わしの年で、シヌイエしている人、まずいないべと思うな。
 わしがシヌイエしたころは、もう法律で、そんなことをしてはだめだって、なっていたというしな。
わしの家は、そのころ、ほんとうのアイヌプリ(アイヌの生活様式)で暮らしていたし、カムイをだいじにしていたもんで、
「ハルシヤ、アイヌのしきたりは、カムイの心なんだから、いくらシサム(和人)が何をいおうと、アイヌのおきてに従うんだ。それがおまえにとって、一番よいことなんだ。」
っていわれてな。

 ほんとういって、あのとき、いやだなあって思ったけど、シヌイエしてもらったのさ。

 そのとき、わしの友だちなんかに、
「あんた、どうして、そんなバカなことしたの。」
って、泣いておこられたりしたけど、わしはそんなに悲しくなかったよ。

 シサムの血が、なんぼアイヌの血の中にはいってもさ、いくらシサムのようなかっこうしてもさ、みんな、やっぱり「アイヌ」っていわれるんだもの。それだったら、ひと目見てアイヌって、だれでもわかる方が、かえっていいって思っているんだ。

 そうだね、わしのてい主になった島太郎エカシは、ほんとうにりっぱなエカシだったな。あのころ、菊太郎エカシや、栄吉エカシなど、りっぱなエカシがいてな、アイヌプリもほんとうにりっぱであったよ。

 昭和なん年だったかな‥‥。

 なんでも、戦争が終わってからなんだけど、よく、わしらのところさ、どこどこの大学の先生とかいうりっぱなシサムがきて、アイヌプリだとかリムセ(輪舞)だとかしてくれって、写真とったり、テープとったりしていったよ。

 へんなもんで、一人くると、その後、つぎからつぎとくるんだな。そして、ああすれ、こうすれっていうのさ。

 この人たちは、りっぱな先生だっていうし、シサムにしては、アイヌイタク(アイヌ語を使っての生活)もできるし、だから、わしは、この人ら、きっと、むかしのウタラパ(身内)たちと思ったくらいよ。それに、
「アイヌプリは、とてもだいじなことで、これからは国で、たいせつに守っていかなければならない。そのために、力をかしてほしい。」
っていうしな。

 わしはそのころ、
''ほんとだ。わしらアイヌは、どんな人にも負けない、いいものを持っている。わしら子どものころは、ユーカラ(物語)を聞かされて、よくわかっていたし、暮らしもアイヌプリだった。今のアイヌの人たちは、アイヌイタクもわからなくなってきたし、アイヌプリなんて、よっぽどのところでないと見られなくなってきた。わしらが、勉強習ったとき、とてもシサムにいじめられ、勉強なんかできずに終わってしまったから、そのようなことを子どもや孫たちに、どうやって残してやったらいいか‥‥''
って考えていたもんだから、その先生たちの話を聞くと、とてもうれしくてなあ‥‥。

 まわりの人たちは、こんなわしを、
「おまえ、写真とらしたり、なんだかんだして、シサムのいうことを聞いているけど、やめた方がいいぞ。」
「シサムはな、金もうけに使うためにやっているのに、おまえ、なんで協力するんだ。」
「おまえ、シサムにおもしろがられているのに‥‥。」
と、いろいろ注意してくれたけれど、
「いや、そうでない。シサムのいうことはだいじなことなんだ。わしらの力でできないことをやってくれているんだから、わしらは協力しないとだめなんだ。これからのアイヌのためになることなんだからな。」
といってな、先生のいうとおりにしたもんだよ。

 こんなわしから、まわりのウタリたちが、だんだん離れていくのが目に見えるもんだから、とてもさみしい気持ちになったりしてな‥‥。

 あるとき、こんなことあったよ。

 どこの大学の先生だか知らないけど、五、六人できて、
「カソマンデ(葬式)やってくれないか。」
っていうのさ。それも、だれも死んでいないのに‥‥。
わしもエカシも、これには困ってしまって、
「それだけはできない。そんなわけのわからんことしたら、カムイイルスカする(神が怒る)からできない。」
といったのさ。

 すると、ちゃんと死人になった人形を持ってきていて、
「まねごとでいいんだから!それに、集まってきた人たちには、たくさんのお金を払う!」
といって、まあまあ、あきれるほどしつっこいんだな。なんぼ、だめだって話しても、どうしても頼むっていって頭を下げるのさ。これには困ってしまってな‥‥。だれが考えたって、人が死にもしないのに、葬式やれっていうんだから、無理な話というもんだよ‥‥。

 えらい先生がな、
「どこへ行っても、ほんとうのアイヌプリの葬式は見られなかった。だから、なんとかやってくれないか。」
って、また、頭をさげて頼むのよな。そして自分たちで、その用意までするのよ。

 そこで、エカシと相談して、何人か人を集めてやったんだが‥‥。

 そのあと、ウタリのみんなにおこられてな、
「見せ物アイヌになった。」
「アイヌのたましいをシサムに売ったホイト(こじき)だ。」
とかいわれ、つらい思いしたね。まるで、村八分になったような気持ちさ。

 ほら、この間、わしに、りっぱな本もってきて見せてくれたね。あの本の中にも、たくさんわしらの写真、出ていたものな。アイヌプリ(アイヌの生活)もだんだん少なくなってくるから、ああゆう本見れば、とてもなつかしい気持ちになるな。

 だけど、いっぱいえらいりっぱな先生たちがきて、写真をとったり、テープをとったりして行ったけど、こんな本になったとか、こんな写真ができたとかいって、わしのとこに送ってくれた人はほんとうにいなかったな。頼むときは、わしらの忙しいこともなにもおかまいなしにしてな‥‥。わしらは、その写真やテープが、どんなところさ、どんなふうに使われているのか、さっぱりわからんものな。こんなこと、ちょっと親しいウタリに話せば、
「ほれみろ、なんぼおまえが、そうでないって協力しても、あの人たちは用事がすんだらそれで終わりだろう。結局、シャモに利用されているってことだよ。」
っていわれるしな。

 わしらののっている、あのりっぱな本、わし一冊ほしいな。いくらすんのよ。‥‥エッ、一万二千円‥‥。

 ホーッ、イラムキッタ(驚いた)!
ひっどく高いもんだな。それなら、わし、白老でひと月かせいだ金で、やっとひとつ買えるかどうかだもんな‥‥。‥‥あれっ、もう売り切れてないって‥‥。だけど、ここさ出ている人たち、見たらほしがるべなあ。

 あのな、このごろ、わしの写真が大きくなって、あっちこっちにあるんだって。

 この間、東京さ行ってきた人から聞いたんだけど、東京のなんとかっていうとこの駅に行ったら、わしのデッカーイ写真(観光ポスター)が貼ってあるんだってよ。
「ババの顔だもんだから、びっくりしたで。」
といわれて、わしのほうがびっくりしてしまったよ。
「ババなんか、今、映画スターと同じだな。」
ってバカにされたけど、いったいだれがとったんだべな。わしは全然知らんもんな。

 ポロト(観光地)では、わしといっしょに写真をとりたいって人が多くてな、わしは、だまっていっしょになってやるけど、あの人たち家に帰って、なんていうだろう、と思ったら、おかしくって‥‥。きっと「おれ、北海道さ行って、ほんもののアイヌと写真とってきたぞ」って、いばっているのかも知れないな。

 ほら、このごろ、白老のエカシが、ラーメンの宣伝ビラに写真のっているんだって。ラーメンと、アイヌと、なに関係あるんだか‥‥。たぶん、アイヌでも食べているおいしいラーメンってことなんだろうな。きっと、アイヌの食うものは、みんなと同じだと考えられないんだろうさ。

 こんなことしたら、やっぱり知らない人は、アイヌって、ずい分遅れてるんだなあって考えるのも無理ないよな。

 「ばあちゃん、からだこわしたらなんにもならんのだから‥‥。」
って、YもSも、わしが白老に行って働くの心配してくれるんで、ほんとうにありがたいよ。だけど、少しでも、家のたしになって、孫らに消しゴムの一つでも買ってやれたらいいって思ってさ。

 なにせ、わしは若いときから丈夫でな、何でも仕事したんだから。オッカイメノコ(男のように丈夫な強い女)っていわれたぐらいでな、男顔負けだったよ。

 そんな丈夫なわしだったけど、子どもができなくてな‥‥。子どものいないのって、ほんとうにさびしいもんで、このYは、生まれてすぐもらったのさ。

 わしはYを背中にくくって、よく、川をくだったりのぼったりする舟漕いでたよ。ちょっとでも一人でおいといて、けがでもされたら大変だ。わしには子どもができなかったけど、この子がさずかったんだから、カムイ(神)の子だと思ってな。

 こんなわしを見て、まわりの人から、
「おまえ、なんぼそうやって育てても、大きくなったら、アイヌなんかいやになって出て行くんだぞ。」
と、ずい分いわれたり、また、笑われたりもしたけど、わしは信じていたよ。おかげさんで、こうして今、孫の顔も見れるし、だいじにしてもらえる。わしは、しあわせもんだと思っているよ。

 わしらの年ごろのウタリは、ずい分とシサムの子を育てたもんだな‥‥。このあたりさきて、かせいでいたシサムは、なんていったらいいのか、流れ者なんだな、てきとうに女の人といっしょになって、子どもが生まれて困ってな、そまつにするんだよ。そういう子どもをアイヌはよく引きとって育てたもんだ。だけど、大きくなれば、どうしたもんだか、家をとび出してよりつかなくなってしまうんだよ。さびしいよな、こんなことって。

 生みの親もわからん、兄弟もいないというシサムの子どもたち‥‥。アイヌに育てられたっていうのがはずかしいのかも知らんけど、きっと、家をとび出して苦労していると思うよ。アイヌでも、シサムでも、親と子のつながりは、そんなもんでないと思うけど‥‥。

 わしは今、つくづく思うんだけど、わしらアイヌは、ほんとうにいっしょうけんめいやってきたと思うよ。

 むかしのアイヌは、シサムプリ(和人のような生活)になかなかなれなくて苦労したと思うけど、わしらは人間の心をだいじにしてきたからな‥‥。

 わしな、観光だとかなんとかいわれて、あっちこっち連れまわされたけど、行く先々で夢見るのよ。わしらの祖先と思われるりっぱなエカシやフチがでて、だまって泣いているんだ‥‥わしは目がさめると''ああ、この土地にも、わしらの祖先がいたんだな、だれもまつってやらないからだな、かわいそうに''と思って、ぶらっと外へ出て、その辺を歩いてみると、そのうちに、夢で見たところと同じところさ出るのよ。''ああ、やっぱりほんとうだった''と思って、わしは心の中で、オンカミ(祈り)して歩いたもんよ。

 わしらは、みんなで助け合ってきたし、そうすることが、けものたちとちがう人間のえらいところだって、教えられてきたからな。

 カムイはありがたいもんだよ。だから、わしらはみんなたのしく暮らせてきたんだよ。ユーカラ(物語)なんか、ほんとうにそんなことを考えさせてくれるね。

 わしは今もむかしもそうだけど、アイヌということが、バカにされるために使われるのに、腹がたつけど、アイヌにだってシサムに負けない、いいものあるんだ、といつも思ってね‥‥。

 でも、これからの世の中では、あんまり通じないことかもしれない。やっぱりアイヌもシサムもなく、みんななかよくしてもらえる世の中になってほしいと思うな。

 だいたい、わしの孫らに、アイヌの話をしてやっても「ふーん、おもしろいね」って、それだけだもの。孫らを見ていて、いつも思うことは''わしらの子どものころと比べて、とってもいい人たちがたくさんいるんだな。学校というところは、人をバカにしないで暮らすことを教えているんだな''って、ありがたくてな。

 だけど、ときどき聞くけど、やっぱりアイヌだからって、よそに勤めるときや、嫁に行くとき泣くこともあるんだって‥‥。

 わしは、もう七十になったからか、今になってみて、しあわせだなって思うよ。

 バカにもされたし、苦しい悲しいめにも合った。それでいて、飛行機にものったし、あっちこっちにも行ってみれた。また、たくさんのウタラバ(身内)にも会ったしな。これも、カムイを信じてがんばってきたことがよかったんだと思うよ。

 ところで、カムイっていうのはな、わしらに、食べ物でも着る物でも、なんでも与えてくれたのさ。

 だから、わしらの祖先は、なに一つするんでも、はじめは、カムイにおことわりして仕事をし、終わったら、また、カムイにお礼して、というふうに、だいじにだいじにしてきたんだよ。

 今の世の中になってからは、もんと宗とかなんだかいろんな宗教があって、ウタリのカムイを信仰する人がいなくなったけど、カムイをだいじにする心はいつまでもあってほしいと思うよ。今の人たちは''ありがたい''って心が、たりないもんな。

 わしら、たとえば、ヤスべ(魚とり)するんでも、チップ(舟)つくるために、まず、いい木を山さ取りに行く。そのとき、はじめに、山の神さまに「いい木がありますように」ってお願いするんだ。いい木が見つかったら、こんどは木の神さまに「この木で、よいチップをつくります。どうかよいチップができますように。そして、このチップが、わしらにたくさんの食べ物を与えてくれますように!」ってお願いしてな。できあがったら、神さまにお礼をいって、それから使わしてもらうんだよ。

 おいしい魚が食べられるのは舟があるからだ。舟ができたのはよい木があったからだ。その木は、育つ山があったからだ。そしてその山があるのは、カムイがつくってくれたからだ‥‥。人間には、山や川はつくれない。人間のできないことをしてくれたのはカムイなんだ、とな。わしらアイヌは、そういうありがたいカムイの心づかいがあるから、しあわせに暮らせるんだ、ってな。

 今、こんなこといったら、木ある山なんてあたりまえだよ。舟をつくったのは人間で神さまでないだろう。そのころ川には魚がいっぱいいたからだ、というけどな、ありがたいって気持ちたりないね。

 わしは、この気持ちを、いつまでもいつまでも、だいじにしたいと思うよ。ありがたいってこと忘れたら、世の中まっ暗になるもの。
(聞きとり 郷内)


*** 1 今日まで生きてきて

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