34. 差別への提言 民芸品製作 三十八歳
北海道がアイヌの領地であったことは、だれしもが知るところである。その領地を奪われ、生活にかかせない狩猟まで取りあげられ、そのあげく、差別と暴力によって苦しめられた‥‥、それはアイヌだけが知る悲しみである。
ほんとうに、ことばでは語りつくせぬ、どん底の生活の毎日であったのだ。
こんなことを考えるとき、また、祖父母や父母の悲惨な姿を思い出すとき、私は、どうしてアイヌだけが別物に扱われ、悲痛な苦しみに追いやられなければいけないのか、と考える。祖父母や父母のその姿は、一生私の脳裏から消えることはないだろう。
長い歴史の中で、アイヌは苦しみとの戦いの積み重ねであった。また、子孫繁栄の生命への戦いでもあった。そして現在においてもなおも‥‥。
しかし、このような問題はアイヌに限ったことではなく、日本中に、いや、世界中にいろいろな形で氾濫している。
そこで、この問題の解決の糸口を求めるために、先ず、私たちの周囲を見つめてみよう。まわりの人びとの差別に対する意識はどうか、また、自分自身に偏見をいだいていないかどうか‥‥。そしてつぎに、自分の過去を振り返ってみて、どうであったのか、と。
その中から、将来への姿が見つけられてくると思う。
ところで、この問題はいうまでもなく、一人だけではどうしようもない。自分の周囲の人びとの協力が絶対条件であり、また、アイヌ一人ひとりの自覚こそ高まらなければ、どうすることもできないのだから。
差別を、個人的差別と集団的差別に分けてみたとき、後者の集団的差別は、最も陰険なもので、支配思想・権力から起こることが多い。個人的差別は、潜在意識の中にあり、その人の育った環境など、地域によって様々である。だから人間性の向上により、解決される場合がある。
私は小学校時代、一クラス四十五、六名の中で、一人、アイヌの子として席を同じにしてきたが、まわりからの差別ははっきりしており、アイヌという視線から絶対のがれることができなかった。これは、中学、高校とも同じである。だが、友だちがいなかったか、といえばそうではない。シャモの友だちは、常に五、六人はいた。ただ、その友だちは、家庭的に恵まれていない、とか、貧困である、といった、おたがいに弱いものをもっている同志であった。この弱いものが連帯感をつくり、友情へと発展した、といえる。
しかし、その弱いもの、すなわち、差別されているという意識につながるのだが、それはそれぞれ、性質のちがったものである。一人は、みすぼらしい服を身につけていたし、また一人は、母がいない家庭の子であり、そしてまた一人は、成績は一番下という子、それに、アイヌという私であるというように。
現在、私をはずした三人は、平凡な家庭をつくり、よきパパとなって、差別なき社会人として幸福な生活をおくっている。やはり、彼らは和人であるからだろう。アイヌである私は、差別という問題から離れて社会生活をしようと、いくら努力しても、彼らのようにはなれないのである。 これは、アイヌであれば、だれしもが経験していることであり、ごく、あたりまえなことである。
最近は以前ほどに「アイヌ」ということばが声となってでてこない。ということは、差別もだんだん潜行し複雑化しているからだ。また、問題は、外側にばかりあるのではない。アイヌ系住民の問題意識の個人差、地域差など考えてみなければいけない。その差の大きさをちぢめなければ、高まった大きな運動と発展していかない。
アイヌ系住民の中に、社会的人種差別を恐れ、その差別からのがれようと、自分たちの仲間や、親戚関係からも遠ざかり、また、自分の主張を断念して細々と暮らしている人たちがたくさんいる。差別の影におびえ、心のふるさとまで捨てたのである。しかし、なぜそうなったのか、それは、今日までの日本の歴史を知る中ではっきりする。
過去から現在にいたる支配主義思想の”理由なき差別”は、このままにしておくと、形は変えても消えることはない。だからこそ、この差別と戦わなくてはいけないのである。
差別意識の影にうろたえることなく、祖先より受け継いだ文化と自然をも守り、自然を愛する心、差別なき平和、平等の愛、これこそ、アイヌ(人間)の精神である。
このアイヌ精神をウタリの手に!
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