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「利他」とは何か。から学ぶ、SDGsにデカいインパクト求められる問題

みなさんとノベルティについて真剣に考えたい、tetoteミウラです。先日、こんなお電話をいただきました。

「クライアントがSDGsの何かやりたいみたいで。。。海洋資源に良いとか、発展途上国へ貢献とか、コンセプトのあるアイテム作れませんか?」

実際にあったノベルティ制作のお問合せです。SDGsやサステナブルは頻度の高いキーワードになっています。一方で「それがSDGs文脈として”強い”かどうか」が求められているような流れを感じています。

例えば「世界・地球規模の問題解決になってる方が良い」。温暖化や貧困問題など、規模や数値的インパクトが大きい方が良いと言う認識です。ドラゴンボールのフリーザの戦闘力のように。喧伝し易いですから、その気持ちは理解できます。

数値的に見える貢献=素晴らしいのか?

SDGs的な強度が高ければ良いのか?私がこの話を聞いて思い出すのは「利他」とは何かという本でした。

利他の意味を検索すると「他人に利益を与えること。自分の事よりも他人の幸福を願うこと」寄付やボランティア、他者へのケアなどの「利他」行為の本質を紐解くのがこの本です。利他の気持ちをもって寄付やボランティアをしたい、貢献するノベルティを作りたいという気持ちは、まずもって素晴らしいですよね。

第一章の伊藤亜紗さんの投げかけで印象深かったところ。マーケティングのように理性的に効率を重視する「効果的利他主義」の傾向を紹介します。その考えはアメリカの若年層から起きているそうです。

効果的利他主義の考え方
・アクションがより効果的であるかどうかを数値化していく「効果的利他主義」の流れがアメリカでは起きている。そこでは、共感やご縁より、数値が大事。投資に対して効果が高いところに優先的にアクションすべき。地球規模の危機が前提にある。「共感」では解決できない。

(利他とは何かより私的な超訳)

効果的であるか=数字として結果が出るかどうか。世界的に寄付文化が進んでいるアメリカで起きている流れで、もっとも数値的にインパクト=意味のあるところに、寄付などのアクションをしようというムーブメントを、著書ではいくつか紹介します。

伊藤さんは、ここから効果的利他主義は「数字に囚われているのでは?/善意を相手に押し付けコントロールする側面もあるのでは?」という問いへと進めます。

・数字にこだわるかぎり、金銭や物資の寄付という数値化しやすいものがもっとも効果的であるかのような印象を抱いてしまいます。
・インセンティブや罰が、利他という個人の内面の問題を数字にすり替えてしまい、利他から離れる方向へと人を導いてしまう

「利他」とは何かより抜粋

私なりの超訳図解だとこんな感じ。

うーん、誰にどこに貢献しようか?
あ、そうか!一番数値的に効果があるところに貢献しよう!

数字的な側面を最も重視しているのが効果的利他。なんとなく寄付やボランティアなどの利他的行為って、その場所や人に共感して助けたいという想いからはじまってるイメージがありませんか?

ただ、効果的利他主義からすると、その対象となるものに共感するだけでは地球規模の危機や共感できない対象を救えない、という数値や効果に即した判断をするのです。極めてマーケティング/投資的な考え方です。

伊藤さんは、さまざまな事例と自身のケアの現場での研究から、数字にとらわれると共感や倫理観が利他において抜けてしまうのでは?と効果的利他主義ではない、利他の可能性を開いていきます。(ここからが面白いのでぜひ読んでみてください)

カレンダーを南三陸町でつくる体制を整えました

どちらがいい悪いの話ではないのですが、冒頭のSDGsとしての強度があるモノを求められたとき、自分が考える利他は随分と遠いものだなあと感じました。tetoteのSDGs的なアプローチは効果的利他ではなく、共感を契機としたものだったからです。

11年前の震災で大きな被害があった南三陸町で、カレンダーの制作を行う座組みをつくりました。私も当時ボランティアで訪れた、人生が変わるきっかけとなった、とても思い入れのある場所です。

制作プロセスに南三陸町での作業も含まれています

2011年の当時から復興を冠したお祭りやイベントも多く行われました。芸能人の方も多く訪れていましたし、打ち上げ花火のようなパワーで認知を得て復興に寄与する。利他のパワーが東北で発動されたのです。

しかし、一定の時期が過ぎると利他は途切れてしまうケースも多いです。それは復興に限らず、友達や親戚でも同じですよね。時間と距離が離れてしまうと、継続した関係を紡ぐのは難しい。

その時に考えたのは、ビジネスを通じた関係性を持つこと。恒常的に街に仕事があれば雇用が増えたり継続したり、少しでも賃金が上がる。人や場所のことを思い続けることもできる。そんな貢献もあるのかなと。

もちろんビジネスにすると利益が絡みます。100%純粋な利他と言えないですが利他が薄まり、ちょうど良いバランスで継続できそうな感覚があります。

作業場の様子
カレンダーを断裁しています

「利他」とは何か。を読んで、南三陸町の方達へ聞きたかったのは(良かれと思ってやっていることが)とにかく迷惑ではないか?押し付けではないか?ということです。

ぜひ、こちらの記事のインタビューで、南三陸の方達のお話をご覧いただきたいです。一緒にモノづくりをしてくださる会社が、そこで働く個人が。協力したい気持ちに対して前向きに捉えてくださっていることが知れて、とても勇気づけられました。

手触りを感じられる、SDGsとは

今回のアクションは、個人的な経験と感情から始まったビジネスを含めた利他です。私の人生に縁があったから、という動機に他なりません。数値としてはインパクトは全くもって小さい。でも10年間何かできないかな?とずっと想っていたことでした。

前述の効果的利他主義、という言葉がありました。数値のインパクトがある方がもちろん効果はあります。SDGsという響きは、ここが大きいほど遠くまで届くでしょう。一方でそこでは利他を始めようとする側の「体重が乗った想い」が抜け落ちてしまいます。

多くの効果を生むが、思いが薄まる

一方で、もう一つの軸として「共感」「縁」から始まる共感的利他。これは効率が悪い。意味があるかどうかもわからない。だけど、私の事例からわかるのは想いが強いので、なんとなく続く気がします。

思いが濃いが、小さな効果し生めない

どちらが良いという話ではなく、前者は規模が大きく距離が離れるので手触りがない。後者は手触りがありすぎて規模が小さい。(なので皆がその意識を持って小さな連帯を作らないと効果が弱い)

効果的な数字を目指す際 SDGsのプロセスに抜け落ちるかもしれない感情や倫理観に目を向ける、大切な視点を「利他」とは何か。は補ってくれているのだと思います。数字として小さいインパクトでも、利他は存在します。SDGsという甘美な言葉が耳に入れば満足してはダメで、プロセスを理解し共感する力が必要です

アクションや想いは悪いことではないと考えます。どちらにしても自分の試みはどうなのか?と問い続けていかなくてはならない。と改めて感じました。tetoteの一つのテーマ。モノづくりを通じて地域社会/その人たちとの関わりを考えていくことになりそうです。