自分の感情の行く先は自分で決めたい
こんにちは、ボードゲーム好きVtuberのテトランパトルです。
僕は、今のところX(旧Twitter)に生息しているのですが、最近どうにも他人の感情に火をつけて回るようなポストが散見されるようになってきた気がしています。
ウソです。ごめんなさい。最近じゃありませんでしたね。ずいぶん昔からそうだった気がします。
今回は、そんなポストを目の前にしたとき、自分の心に問いかけたいことについてちょっとだけ記そうと思います。短めにね。
注目された方が利益が出る仕組みは世の常
「悪名は無名に勝る」ということわざを聞いたことはありませんか?
「憎まれっこ世にはばかる」ということわざも、正確にはちょっと違いますけど、まあ似たような感じな気もしますね。
こんな言葉が昔から伝わるぐらいですから、常々世の中とは多少悪いこと、受け入れがたいことをしてでも名を売った方が利益が出る仕組みでできていると考えるのが妥当ではないでしょうか。
もちろん、限度はありますけども。名を売るために重犯罪おかして陽の当たる道を歩けなくなるなんてのは、損益の方が多くてお話になりません。バイトテロなんてのが一時期有名になり、そして今でもたまに話題に上がりますけども、結果としてネットタトゥーとして残された痕跡が、社会の中で生きていく上でプラスに働く訳もありません。
あくまで多少。ほんのちょっとだけ。そんなさじ加減で、多くの人に目に触れ、なおかつ鮮烈なイメージを与えることができる。そんな都合のいい場所として、今多くのSNSが選ばれていると。まあそういった肌感覚を得ている次第です。いい迷惑ですね。
対岸の火事に燃やされたいのかどうか
多くの場合、いわゆる「炎上」を目的としたポストというのは、刺激的かつ衝撃的なものです。自分が炎上するのか、ポストで指摘した先を炎上させたいのかはさておき、読んだ人の目を引き付け、意識を集中させ、感情を激発させようという意図で記述されるものですから、必然的にそういったものにならざるを得ません。あなたはそうしたポストに対して、誘導されるがままに燃やされることもできますし、そうではない対応をすることもできます。
激動する感情というのは一種の娯楽に近しいものがあります。その感情を発散・表現する行動というのもまた然り。炎上ポストを好んで見る方というのは、いわばそうした性質をうまく利用されていると言えるのかもしれません。
しかし、人間は自由意志の生き物でありますから、こうした炎上ポストに燃やされるか眺めるかの選択をすることはできる訳です。当事者じゃない限りは炎上している様子も対岸の火事ということで、基本、あなたは無関係の立ち位置にいることでしょう。それでも燃やされたいなら、それもまた選択の一つですね。
踊る相手も、場所も、自分で決める
沈黙とは意思を持たないということではありません。求められていないから開示しないだけですし、求められたところで議論の場として相応しくないなら、やはり表現することはないでしょう。言葉にしなければ伝わらないのは事実ですが、伝えたところでそもそも結論ありきで燃え盛っている場所で懇切丁寧に伝えたとして、どれだけの影響があるのでしょうか。結局、その行いも燃料にされて、炎上の足しにされてしまうのではやり切れません。
熱狂に巻き込まれて踊るよりは、自分のペースで落ち着いて踊りたいものです。そのときの相手も、どこで踊るのかということも、決める権利は自分自身にあります。
感情を刺激されることがあっても、まずは冷静に、落ち着いて自分の心を振り返ってみてください。案外、そんなに激発するようなものでもない、些細なことかもしれません。燃え盛る炎から、自分の心も、社会的な側面も、守ることができるのは自分だけです。自分を大切にしましょう。少なくともそれは、誰かに燃やされていいものではないはずですからね。
おわりに
余談ですが、つい最近、おそらく友人関係同士のアカウント間でのポストで、ちょっと炎上しそうだな~と思うものがTL上に流れてきました。意図的に炎上させようと思ったものではなく、おそらく友人間の些細なやりとりだったのでしょうが、そんなものでもTLでお互い以外に見られているという意識を持っていないと危ないな……と感じる出来事でした。
今回の記事の趣旨とはやや異なりますが、何が原因で燃やされることになるか、他人の感情を揺さぶることになるかわかりません。みなさんもどうぞ十分お気をつけくださいますよう。
最後に活動の宣伝だけしていきますね。
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よろしければぜひご覧くださいまし。
それでは、ご覧いただきありがとうございました!