【世界杯紀行】「自分たちのサッカー」が通用せず、王国のプライドは打ち砕かれ、やたらと消耗した大会<2014年@ブラジル>
「日本代表のワールドカップの目標は何か?」
そう問われたら、多くのサッカーファンは「ベスト8」と答えることだろう。2002年の日韓大会、10年の南アフリカ大会、そして18年のロシア大会でベスト16を達成している日本。とりわけ4年前のラウンド16では、ベルギー相手にあと一歩というところでベスト8に到達できず、開催地の名を冠して「ロストフの14秒」と呼ばれている。
もっとも、日本の目標が「ベスト8」に落ち着いたのは、わりと最近の話である。2010年大会では、当時の岡田武史監督が「ベスト4を目指す」と発言。大会前の評価が極めて厳しい中、この目標設定は無謀と思われていた(最終的にはベスト16となったが、それでも岡田監督は悔しそうだった)。
それから4年後の2014年大会、日本代表の目標はいきなり「優勝」まで引き上げられる。言い出したのは、アルベルト・ザッケローニ監督ではなく、当時の中心選手だった本田圭佑。本田とその仲間たちは、この時「自分たちのサッカーを貫けば日本は優勝できる」と信じ、この言説に(半信半疑ながらも)乗っかるメディアもあった。
過去のワールドカップの旅を、このOWL magazineにて大会ごとに紹介するシリーズ「世界杯紀行」。第3回となる今回は、2014年ワールドカップ・ブラジル大会を取り上げる。正直なところ、このブラジルでの日々は、あまりいい思い出がない。その理由については、最後に言及することにしよう。
ブラジルとクロアチアによる開幕戦は、アレーナ・デ・サンパウロで行われることになっていた。前日に到着すると、バックヤードはこの有様。実はアレーナ・デ・サンパウロは、準備が遅れ気味だった今大会を象徴するスタジアムで、本番の半年前にはクレーンが倒れて死者が出る事故も起こっている。(6月11日@サンパウロ)
そして迎えた開幕戦。最寄り駅のコリンチャンス・イタケーラの構内は、ブラジルとクロアチアのサポーターでごった返していた。そして、あちこちで記念撮影。4年前の南アフリカに比べて、サポーターのスマートフォン保有率はぐっとアップしていた。(6月11日@サンパウロ)
日本の初戦の相手はコートジボワール。しかし、状況は最悪だった。会場は治安が悪いことでつとに有名なレシフェ。しかも、この試合だけキックオフが22時で、中心街からスタジアムまでは軽く1時間はかかった。ドログバの途中出場で、試合がひっくり返さたことばかりが語られる、日本の初戦。サポーターや取材者もまた、選手以上に消耗を強いられる試合となった。(6月14日@レシフェ)
この大会の最大の不幸は、開催を望んでいないブラジル国民が少なくなかったことだ。スタジアムに向かうメディアバスが、大会反対のデモ隊に囲まれて立ち往生。窓ぎわでカメラを構えたら、窓ガラスを思い切り叩かれた。国民生活の安定よりも、フットボールの祭典を優先する政府とFIFA。国民の怒りは、この表情からも読み取れる。(6月17日@フォルタレーゼ)
この大会では、日本サポーターの有志が「ハチマキ作戦」なるものを実施していた。外国人向けに売られているハチマキを大量購入し、中立のブラジル人に無料で配って日本を応援してもらうのが目的である。写真はギリシャ戦で出会った、地元の空手キッズたち。ハチマキ姿で気合充分だったが、日本は彼らの期待に応えられず、スコアレスドローに終わった(6月19日@ナタール)
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