ワールドカップ2次予選の遠征は「余裕をもって」〜8年前のタジキスタン取材を振り返る〜
OWL MagazineのYouTube番組『OWL Channel』の登録会員数が、このほど1000人の大台を突破したそうだ。その前日、マレーシアのクアラルンプールで行われたワールドカップ・アジア2次予選の組み合わせ抽選会を実況する番組に呼んでいただき、OWL主筆の中村慎太郎さんとあれこれお話させていただいた(参照)。あの番組が、1000人突破に少なからず貢献していたのなら、非常に光栄なことである。
さて周知のとおり、2次予選の日本の対戦相手は、キルギス、タジキスタン、ミャンマー、モンゴルと決まった。ドローの結果については二重の意味で満足している。代表目線でいえば、ポット2(つまりグループの2番手)がイラクやウズベキスタンといった厄介な相手ではなく、キルギスとなったこと。そして取材者目線でいえば、初めてアウェイで赴く国が3カ国もあったこと。とりわけ後者は、私にとっては重要な要素だった。
今回の2次予選のドローに参加した40の国と地域のうち、私がこれまで取材で訪れたのは27カ国。日本代表の対戦相手は、2014年大会までは顔ぶれが限られており、バーレーンやオマーンといった中東勢とばかり対戦していた。それが18年大会から予選のフォーマットが変わり、日本は比較的目新しい国との対戦が増えたのだが、安全面での問題から第三国で対戦するケースも少なくなかった。
よって今回の予選では(1)今まで訪れたことのない国で、(2)しかも試合開催が可能な国で、(3)なおかつ取材者やサポーターが安全に入国できる国であることを期待していた。結果的に、ほぼ望み通りの組み合わせとなったといえる。ただし、キルギスとタジキスタンは日本からの直行便がないので、現地観戦を考えている方は注意が必要。本稿では、この4カ国の中で私が唯一訪れたことのある、タジキスタンの旅の記録を披露することにしたい。
タジキスタンについて語る前に、まずは経由地のウルムチについて触れる必要がある。羽田から北京が4時間、北京からウルムチが4時間20分、そしてウルムチからドゥシャンベが2時間35分。実は、中国大陸を移動するフライト時間が最も長い。
ウルムチは新疆ウイグル自治区の首府であり、中国から中央アジアへの玄関口となっている。現地を訪れたのは、8年前の2011年11月。当初、2次予選で対戦するはずだったシリアが資格停止となり、急きょ中央アジアの謎めいた国との対戦が浮上する。
ところが、ウルムチで思わぬアクシデント。ドゥシャンベが降雪のため飛行機が飛ばず、否応なく20時間も留め置かれることになった。仕方がないので市内の博物館を見学。多民族の融和を強調する展示に、中国の光と影を見る想いがする。
翌日の臨時便で、ようやくドゥシャンベに到着したのは、キックオフ14時間前だった。ドゥシャンベとは、現地の言葉で「月曜日」の意味。月曜日に市場が立ったことに由来する。ソ連時代の一時期は「スターリナバード(スターリンの街)」という名前だった。
同業者と一緒に白タクに乗って、ようやく試合会場に到着。この当時は「ドゥシャンベ・セントラル・スタジアム」という名称だったが、今は「パミール・スタジアム」が一般的。2万4000人収容で、普段はCSKAパミール・ドゥシャンベが使用している。
今回の予選で会場となるのは、間違いなくここだろう。記者席から見て左側に山脈、右側にはモスクが見える、実に風光明媚なロケーション。ただし戦後から間もない1946年のオープンとあって、施設は恐ろしく老朽化していて、バックヤードも極端に狭い。
そして、何より残念だったのがピッチコンディション。あちこちで土が露出していて、さながら河川敷の草サッカー場のようである。実際、この酷いピッチに日本代表は苦しみ、普段ならあり得ないパスミスからボールを奪われるシーンが散見された。
旧ソ連時代のスタジアムは、屋根なしのトラックありがデフォルト。しかも重要な試合になると、なぜかトラックに奇妙なものが置かれてあることが多い。この試合では、結婚式のようにデコレーションされた自動車が鎮座していた。何のために? 答えは試合後、明らかになる。
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