ビッグアーチという歴史遺産〜フットボールの白地図 by OWL Magazine【第12回】広島県
<広島県>
・総面積 約8479平方km
・総人口 約279万人
・都道府県庁所在地 広島市
・隣接する都道府県 鳥取県、島根県、岡山県、山口県、愛媛県
・主なサッカークラブ サンフレッチェ広島、SRC広島、アンジュヴィオレ広島、福山シティFC
・主な出身サッカー選手 野津謙、長沼健、下村幸男、今西和男、森孝慈、金田喜稔、木村和司、石崎信弘、田坂和昭、森島寛晃、柴村直弥、槙野智章、森重真人
「47都道府県のフットボールのある風景」の写真集(タイトル未定)のエスキース版として始まった当プロジェクト。前回はこれまでなかなか訪れる機会のなかった、富山県を紹介した。今回フォーカスする広島県もまた、私にとっては非常に縁の薄い土地。静岡県、埼玉県と並ぶ「サッカー王国」であり、あのサンフレッチェ広島があるにもかかわらず、である。
その要因となっているのが、現在は「エディオンスタジアム広島」と呼ばれる、広島ビッグアーチの存在である。1992年のアジアカップや2年後のアジア大会のメイン会場となり(前者では日本代表がアジア初制覇を果たしている)、サンフレッチェの黄金時代を見つめてきたビッグアーチ。しかし2002年のワールドカップでは「屋根をかける予算が確保できない」ことから、開催地から外れている。
結果として2004年7月のキリンカップ(対スロバキア戦)以降、広島県でA代表の試合はまったく行われなくなってしまった。代表戦がなければ、広島を訪れる機会も限られる。私にとっての広島初取材は、2007年の地域決勝1次ラウンド。ただし、この時の会場はビッグアーチではなく、広島県総合グランドメインスタジアムであった。
昨年11月、13年ぶりに広島市を訪れた。最初に向かったのは、広島湾に浮かぶ似島(にのしま)。広島港からフェリーで20分ほどでアクセスできる、この人口800人弱の小さな島こそ、広島のサッカーを語る上で不可欠な土地である。実は第一次世界大戦当時、この島にはドイツ兵の捕虜収容所があった。
収容所ではドイツ人捕虜によるサッカーチームが結成され、1919年(大正8年)には市内で広島高等師範学校の学生チームと対戦。結果は広島高師の惨敗であったが、この時のドイツ兵の技術に魅了された学生たちが、小舟でたびたび似島を訪れてはヨーロッパ仕込みのテクニックや戦術を学んだとされる。
実のところ広島は、全国に先駆けてヨーロッパのサッカーを受け入れた県であり、そうした土壌から多くの指導者や選手が輩出されることとなった。しかし、いくら「サッカー御三家」といっても、広島カープの存在感と比べると霞んで見えてしまう。広島市民球場跡にある、衣笠祥雄世界新記録記念碑を見て、あらためてそう感じた。広島に佐藤寿人の銅像が建つのは、はたしていつの日であろうか。
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