男なら・老害論
『男なら』の続編です。
性的に不謹慎な表現を含みますので、ご注意ください。
男性論です。
だから、男性とは何かについてステレオタイプを使って論じます。
ひとりひとりの個人を考慮せず、「日本人は~だ」と断定する人はレイシストです。と、ノーム・チョムスキーが言ってました。
レイシストとは、人種差別差別主義者と訳されてゐて、「自分たちの人種が他のものより優れてゐると信じ、他の人種の人たちを不当に扱う人々」などと英英辞典には書かれてゐます。
だから、レイシストと呼ばれたら大慌てしなくてはならないのですが、「日本人は~」と論じる人がレイシストとするのは決めつけで、たいていの人は人種のステレオタイプを探ってゐるのだと思ひます。
同じやうに、「男とは~」「女とは~」と論じる場合、もちろん、どちらかの性別の人たちを蔑み搾取するために、つまりは、性差別主義的に論じる場合もあるでせう。
けれども、わたしの場合、平均値を探してゐるにすぎません。
つまり、「男は女より筋肉の量が多い」「男は女より脂肪の量が少ない」などといったことで、男性の平均値は、常に女性との比較から出てきます。
だから、わたしの男性論に対して、「いや、ぼくは全然違ふ」とか「あたしは身体は男だけど心は女」とかいった個人に根差した反論は聞こえないことにします。「ぼく」とか「あたし」とかの個人の事情は、平均値を論じるときは無視されるからです。
『男なら』で述べたのは、次のこと。
①男は思春期から強烈な性欲に悩まされ、精神性と身体性の矛盾によって心が引き裂かれる。
誰でもいいから、あなたの尊敬する男性の知の巨人が、エロ写真を見ながら自慰をしてゐるさまを想像してみてください。
宮台真司氏などは逆手にとってセックスに耽溺する自分の青春時代を露悪的に書くことでインテリ芸人になった人です。
それにしても、今は、自慰を公開することはできないでせう。
すっかり、利己主義の蔓延した世を憂える国士になってしまったからです。
そこが、「せんずりかいて寝るわ」とXに書き散らす百田尚樹氏との差です。
冒涜的な喩へで申し訳ないですが、お釈迦様だって思春期には強烈な性欲に目覚め、自分の精神性と身体性の分裂に驚愕したのだと思ひます。そして、後には、その身体性を憎んで、飲まず食はずの荒行を行ひました。
けれども、あまりの飢餓感に耐へ切れず、つまりは身体性に敗北したとき、その身体が若く美しい女性からの思ひやりに触れて、何かを悟ることになったわけです。
わたしの推測では、ふだんなら、性欲をもって反応する・若く美しい女性の中の、身体ではない美しさを見たのだと思ひます。つまりは、慈悲。
お釈迦様に限らず、男は身体性に悩んで悩んで、何かを悟る。
精神とは何かを知る。
それは、先ずは性欲に悩まされ、精神と身体を共に持つ「人間」といふ・悪魔に天使にもなれない奇妙な存在を直視しないではゐられないからです。
②男性と女性の区別は、性欲の質の違ひ
どう違ふかは、男性の起こす性犯罪を見ればわかります。
そもそも、強姦・覗き・下着などの窃盗といった性犯罪を起こすのは、ほとんど男性です。女性って男性の(使用済み)ブリーフを盗んでコレクションにしてゐる人ってゐるんですか?男性なら、あの弁護士の先生も、あの牧師さんも、あの心理カウンセラーさんも、みんな、中学時代から女性下着のコレクターですよ。
男性の性犯罪、例として挙げようとすると、たくさん「面白い」のがありすぎて困りますが、今の時点で一番最近のものは、これ。
男性の性欲は、次のやうな構造になってゐます。
強烈
我慢できない
射精しないと収まらない
射精しても「頭の中に観念として求めた快感」を得られない
つまり、満たされない
だから、また強烈な性欲が出て来る
(「ぼくは違ふ」といふ反論は、冒頭で述べた理由により、無視します(^^))
前の記事では、次のやうに書きました。
「やりたい」と思った女性のすべてと性交できないかぎり、男は自分の性欲を欲求不満として抱へて生きてゐる。
しかも、身体的な快感を感じる子宮を持たないので、頭の中のエロな観念を、相手の女性が快感に浸る様を見て、虚しくなぞるしかない。
だから、男の性欲は、ゴルゴ13のやうに毎回違ふ女とセックスしたとしても、絶対に満たされることがない。
そのため、性欲の満足を追ひ求める男性の人生は、欲求不満の無間地獄となります。
③男の存在理由
ともかく、女だけでなく男も人間にはゐるんだから、なんか、存在理由はあるんだらう、と前の記事では考へました。
そして、
あ、やっぱり、死かな?
といふことになって、次の漫画を貼りました。
性欲を満たそうとしても無駄なのは、ちょっと頭のいい男なら気づく。
何か他のものを人生に求める。
他のもの、それは権力です。
男は、暴力的で、マウント合戦にあけくれるやうに出来てゐる。このことの理由については今は触れません。
とにかく、誰がボスか、みんなに命令するのはどの男かを、男が集まると必ず決めようとします。
この戦ひに敗れたり、この戦ひに参加できないヘタレな男性が、「俺は一匹オオカミ」とか「人と群れるのがキライ」とか言ってゐるわけです。(「ぼくは違ふ」といふ反論は、冒頭で述べた理由により、無視します(^^))
男は権力を持ちたい。だから、男なら誰でも政治に興味を持ちます。(「ぼくは違ふ」といふ反論は、冒頭で述べた理由により、無視します(^^))
つまり、男なら、天下国家について関心を持ってしまふといふこと。
逆に言ふと、
男なら、天下国家について関心を持ち、論じ、何らかの行動をすべし、といふことになります。
これが、↑の漫画にある、
「男なら幸せになろうなどと思うな」
「幸せになるのは女子供だけでいい」
といふ意味です。(←作者はさう思ってないぞ、きっと^^)
わたしが、自分も含めた老害を蔑むのは、わたしたち老害の世代は、とことん、天下国家の問題から逃げたからです。
わたしは『孤立と分断の時代』といふ記事に
いただいたコメントに、つぎのやうな返事を書きました。
>今の高齢の方々は将来の日本の状態を考えずに生きてた
とお書きだったので、それを枕に返答しました。
>今の高齢の方々は将来の日本の状態を考えずに生きてた
誰かの歌に
戦争が終はって僕らは生まれた
僕らの名前を憶えてほしい
「戦争を知らない子供たち」さ
といふ・ふざけた歌詞がありますが、
今、老人となってゐる人たちは、戦争を知ってゐる親から生まれた「戦争を知らない子供たち」です。
生れたときには既に日本は、戦争から帰って来た人たちの馬車馬のやうな働きと、朝鮮戦争などの「幸運」によって、奇跡の経済復興を遂げてゐました。
「戦争を知らない子供たち」とは、その後の経済成長にただ乗りして、ひたすら軽佻浮薄に生きた世代です。
将来のことはもちろん、過去から繋がる現在について、何も考へなかった世代です。
今の日本のありさまは、ひとへに、この世代(わたしも一員(*_*))のせいです。
まあ、それを糾弾してもどうなるわけでもありませんが。
(引用、終はり)
経済成長にただ乗りして、ひたすら軽佻浮薄に生きた「戦争を知らない子供たち」は、天下国家を論じ、行動することから逃げた。
どういふ意味かといふと、例へば、全共闘世代と呼ばれる老害の人たちは、大学で政治闘争ごっこをした後、公務員や企業の社員となって、バブル経済に至る繁栄を享受した。
つまりは、学生の頃に全面否定して、革命を起こすしか日本のやうな腐った国はどうしようもないと言ってゐたのに、就職が決まると、その腐った日本に入り込んで楽しく暮らしだした。
つまり、幸せになったのです。
わたしたち老害の世代には、だから、男は皆無で、みんな女子供だったのです。
さんざん幸せに生きて来た。
そして、まだ、老後のしあわせを求めて、岸田さんの属する政党などに票を投じてゐます。(「ぼくは違ふ」といふ反論は、冒頭で述べた理由により、無視します(^^))
たぶん、「ぼくは、心は左翼なの」と思ってゐるのかもしれませんが、ご立派な政治思想はなんであれ、政権を取ってほしいのは、自分たちのしあわせを政策の第一に掲げる党であり、代議士なのです。