無関心な母親
この記事↑を読んでたら、涙がぼろぼろ。
子供の幼稚園バックや
書いてくれた絵、なんか
すてられないし
いつまでも、押し入れは
パンパンなのです。
自分の物は捨てられるんですけど、子供の思い出は
捨てられず、結局 もう着ない洋服、使わないバッグ
捨てられたのは それくらい
わたしが家を出てから一年後に戻ったら、わたしのものは何ああんにもなかった。
それほどまでに母はわたしを憎んでいたのかと思って顔を見たら、あいかわらず優しく笑っている。
「しょうちゃんのお母さんはやさしそうでいいね」
と友達や友達のおかあさんたちからもよく言われた。
母がわたしを憎むはずがない。
誰かを憎くむには、まずはその人間に関心がなくてはならない。
母はわたしに関心がなかった。
こういう母親は存在する。
わたしは今では母がどういう理由でわたしに対する関心を持てなかったのかがわかっている。
母には同情すらしている。
それにしても、わたしは気の毒な子供だったと思う。
無関心な母親というものは、いわゆる毒親よりも人に伝えにくいので、黙っている人が多いような気がする。
なんでも流行だから、誰かインテリ芸人が何かうまい用語を考え出して本でも出してテレビで紹介されたりしたら、「私の母も」「僕のママも」と言い出す人が現れるだろう。
なににせよ、当時のわたしは、せめて憎しみや嫌悪というものでも母から示してほしかったのかもしれない。
それで、激しく母につっかかっていった。
そんなことをしても無駄であることは、当時のわたしも知っていた。
それでも止まらなくなった。
わたしがそれから四時間ほど、泣いて叫んで、叫んで泣いても、母は静かに微笑んでいるだけだった。