コロナおよびワクチンと専門家
コロナもワクチンも、なんだかすっきりしません。
季節性インフルエンザっていってるのに、季節外れで流行りましたね。
これは、ワクチンのせい?コロナの影響?インフルエンザ・ウィルスの変異?
それらとは違ふ要因があるのかもしれませんね。
身体にしろ心にしろ、健康や病気に関することは、
専門家に相談しませう
と必ず言はれます。
正しいと思ひます。
医学は現代科学の最先端の中に入ってしまひ、もう素人の頭ではなんのことかわからない世界となってゐます。
自分で調べて自分で判断しなさいと言はれても、無理、無理。
エクソソームって面白そうだから、去年から高い本も取り寄せて読んでるけど、なんのことかまったくわからない。
読めば読むほど、わからない。
お金、かへして。
わたしみたいに頭が気の毒な人は、自分で調べてもわからない。
だから、専門家がゐる。
専門としてゐる知識を金で売れる人たち。
コロナ禍になって、その専門家といふものがいかに頼りないのかがわかりました。
そして、「あの人たちって、ろくなもんぢゃないわね」といふのがわたしの個人的な感想。
わたしは、ワクチンを推奨してゐる専門家より、反ワクの専門家のはうがヒドイと思ってゐます。
専門家が頼りなく感じられたのは、微生物やウィルスが引き起こす疫病がテーマだったからです。
かういふ領域では、専門家と称する人は、「今、研究してます」といふ人たちだった。
「わかってます」「知ってます」といふ人たちではない。
何かといふと、統計資料を出してくる人たちです。
それしか「エビデンス」と言へるものを持ってない。
かういふ「まだわかってない」「今、研究中」の専門家たち加へて、「昔、すごい研究所で、研究してました」といふ人、さらに、基礎研究ではなくてクリニック経営者の臨床のお医者さん(つまりはビジネスパースン)までが、疫病や免疫のことについて
「本当のことを知ってゐる専門家」
として名乗りを上げだした。
疫病や免疫って、月の裏が見えなかった頃の月の裏みたいなもんぢゃないんですか?
だとしたら、今、専門家がまことしやかに言ったり書いたりしてゐることは、全部、仮説ってことになる。
ふだんの会話の表現を使へば、
見て来たやうなウソ。
もちろん、後になってそれがウソぢゃなく、真実だったことがわかるかも。
でも、今は、誰にもわからない。
反ワクの専門家は、ワクチン推奨派に対して、
議論しようと呼び掛けたが、あいつらは逃げた
と、よく自慢してゐます。
自分たちが正しいといふ証拠と思ってゐるみたい。
でも、どっちが正しいかといふ勝ち負けを決めるための議論には意味が無い。それだと、将棋や碁と同じ。
観てて面白いだらうけど、どっちが勝っても、問題はなんら先に進まない。新しい展開は生まない。
議論が実を結ぶのは、お互ひの勝ち負けではなく、問題の解決を求めて、それぞれが知識や理論を持ち寄って話し合ふときだけです。
つまりは、議論の参加者は、無私の精神が必要になる。
反ワクの専門家に、一部の人たちの間で異様な人気が出たのは、高学歴で高収入で社会的名誉を享受してゐる専門家をバカだとか金の亡者だとか罵るからです。
ふだんエラソーにふんぞり返ってる人に腹を立て劣等感を持ってる人たちは、留飲がさがる思ひなのでせう。
わたしとしては、ふんぞり返ってる人たちの人格のことはどうでもいいから、はやく、
事実を知りたいですね。
そのために必要なのは、先ずは、
反ワクの専門家たちが集って議論すること
だと思ひます。
そうして、統一的な理論が見出せたら、反ワクの主張には、何かしら真実に近づくのに役立つ仮説として成立する。
(わたしの正直な気持ちとしては、集まって議論したら、反ワクなんだけど、反ワクの根拠となる理論はてんでんばらばらってことがわかるぢゃないかといふ気がしてます)
この統一理論を、ワクチン推奨派の理論に照らし合はせながら、
よりplausibleな理論を模索する
それが専門家の仕事だと思ひます。
plausible「妥当な、もっともな、もっともらしい、うまいことを言ふ」
今のところ、疫病や免疫といったものごとは、人工衛星の無い時代の月の裏側に相当します。
良心のある専門家としてやれることは、「まだよくわかってゐないこと」を、お互ひに、できるだけ多く洗ひ出して、それらをたたき台にして、plausibleな仮説を提出できる研究をすることだと思ひます。