死刑廃止はできる
鳥の視線、鳥瞰という言葉がある。
鳥瞰 :
(鳥が空から地上を見おろすよえうに)
高い所から広い範囲を見おろしてながめること。
日本国語大辞典より
虫の視線、これには「虫瞰」という単語は無いようだ。
虫の視線にはパースペクティブがないからだろう。
個人対個人で暮らしていると、人殺しは絶対にダメだと思う。わたしが殺されたらいやだからだ。知り合いが殺されても気の毒だ。
けれども、ドローンになったつもりで高みに上がり、個人の集まりをじっぱひとからげにして俯瞰すると、人を殺した人間の中には、「こいつに生きている資格は無い」と思う奴が見つかる。
高い所に昇ると、わたしも、つい神さまになったような気分になるようだ。
それで、
「こんなやつは、死刑でいいな」
と思う。
そうして、地上に戻ると、考えが変わる。
死刑も人殺しであるから、人殺しの肯定ということになる。事情によっては人を殺していいと考えているわけだ。
それなのにどうして人を殺した人を罰するのかと言われると、困る。
どんな人にも人を殺す事情がある。
「なんとなく」「ただ殺してみたかった」「死刑になりたかったから」、それらも、立派に個人の事情である。
他人にはよくわからない事情だとしたら、それこそが、その人個人の事情なのだ。
こうなると、死刑を存続するには、わたしが天空で判断したように、
「こいつには生きる価値がない」
という、神のような視点からの存在そのものに対する断罪が必要だ。
鳥瞰と虫瞰で見え方が違う。
だから、考え方も違ってくる。
よせばいいのに、また、鳥になったつもりで、空に舞い上がってみた。
実際には、飛べないので、頭の中で、飛ぶ。これって、妄想とどう違いのかな。
ともかく、どうせ想像なのだから、ギャオスになって成層圏まで上昇した。
一神教のGodは雲の上にいるらしいから、今や、わたしに見おろされている。
視野をさえぎるもののないその高みにおいて、わたしは悟った。
死刑廃止など、簡単だ。
人が人を殺さなくなれば、今すぐ、実現できる。
ヨーロッパ先進国では死刑が廃止されているそうだが、きっと、ああいう人権意識の高い、文化的な民族たちの社会には、もう、人を殺す人がいなくなったのだろう。←皮肉です^^