家庭の幸福と利権
これを読んで、コメント欄に書こうとしたことを、下にコピペします。
わたしは自分でもひねくれた冷笑家だと自覚しているので、
自分で思ったこと、正直な気持ちとして書いたとしても、荒らし的になる感じがします。
なんか「空気」を乱してしまうと思う。
空気という言葉を出すと、たいていの人に「私は空気なんか気にしてません」と言われると思いますが、わたしは空気を気にして生きています。
わたしは、日本人の「空気」を重んじる文化が好きです。
まあ、山本七平氏の本もいくつか読みましたから、もちろん、弊害は大きいのを認めたうえで、ということで。
ちなみに山本七平氏は大嫌いです。←こどもか?
文化ってそういうもの、
やっかいでうっとおしくて、同時に、素晴らしくて大切でかけがえがない、
というのが持論です。
同調圧力などの用語で、日本文化の一部を「都合のわるいもの」「病変部」として切り取って、そこに西洋かどっかの文化「個人」「自分軸」などを臓器移植するのは無理だと思っています。
日本文化をいじったらあかん、そのままでいいとは、さすがに、ネトウヨであるわたしでも思いません。
変化していきます。日本人が変えていくと思います。
それでも、
文化の症状に関しては、西洋医学的な「治療」ではなく、
統合的な、漢方的な「手当て」しかないのではないかと思っています。
以下、コメント欄に書き込もうとした文章。
どっちも利権、わたしもそう思います。
(追記↑
これ、記事の内容を読み違えてしましたね。
ワクチンマスク推奨派が利権なんですね。
わたしは、両方で利権が生じていたと思っています。
わたしがこのように考える場合、「利権」の意味を広げ過ぎていて、
「利己主義、私利私欲」といった抽象的な意味になっていますが)
それから、その利権なんですが、
利権を追い求めているのは悪魔ではなく
自分や自分の家族の幸福を願う人だというのがわたしの印象です。
映画『ボーダーライン』では、冒頭からとんでもない悪の実態が描かれています。
利権をたどって、最後に主人公が探し出したのは、
善良で、幸せそうな家族。
そして、それを命をかけて守りたい夫であり父である、ひとりの男。
とても品がよく教養のある人物なのが一目見て、わかる紳士。
「家庭の幸福は諸悪の根源」と喝破した太宰治は、
結局、自分の言葉に追い詰められて情死するしかなくなりました。
わたしは家庭の幸福を
利権の根っこにしない方法は無いのか考えています。