市民と国民に関する走り書き
↑この記事の続き。
⑩現在の日本の管理会社は?
アメリカ。
この管理会社に軍事を丸投げにして、国内で「右肩上がりの経済成長」に専念した。
経済成長が止まったと言って、この頃は、管理会社との契約を破棄しろと言ってゐる人たちもゐる。
↓の動画で山本太郎氏は、アメリカが日本の管理会社であることを
「おかしいでしょ?」と言ってゐるが、
山本太郎氏的には、どこと契約したら「おかしくない」んでせうね?
⑪日本には、「市民」しかゐない。
市民には、人権があり、自由があり、幸福を追求する権利がある。
人権と自由を持つから、市民である。
国民には、兵役の義務がある。
自分の国は自分で守るから、国民。
市民は、それを職業軍人に委ねる。
『自衛隊のみなさん、ありがたう』といふ横断幕を広げる。
自分では絶対に戦はないし、救助にも行かない。
それが市民だ。
市民社会を、国家に守らせるから、市民。
市民は、決して、国家と直接には繋がらない。
市民と国家は、
委託者と業者の関係だ。
だから、日本の今の社会のどこを見ても、
「市民講座」
「市民課」
「市民教育プログラム」
「市民道徳(絶対に国民道徳ではない)
「市民団体」
「市民センター」
「市民広場」
「市民病院」
「市民プール」
市民、市民、市民ばかりで国民は無い。
どうしてかうなるのか?
それは、今の日本人なら誰でも、国民といふ言葉には、ちょっといやな響きがあるのを感じるからだ。
今の日本人は、無意識ではあるが、国民と言ふべきときでも、市民と言ひ替へることが多い。
市民は、国家に縛られたくない人の自称である。
たしかに、今の日本のやうに、国家の役割はアメリカに委託して、
自分たちは人権と自由を有する市民として、
日々の経済活動、
余暇の趣味活動、
なりたい自分を夢みて過ごすこと、
スポーツやセックスを楽しむこと、
さういった諸々の平和な暮らしだけで人生を過ごせるのは、けっこうなことだと言はなければならないだらう。
そんな暮らしが何十年も続くと、たとへばたけしや鶴瓶などのやうに
「今の日本人は経済的には裕福になったが精神的にはとても貧しい」
などといふつまらないギャグを垂れ流すコメディアンが出て来て、失笑させてくれる。